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「ベルリンでいろいろな空気を見せられた私は……」

 東京が返上した後、名乗りをあげたヘルシンキも第2次世界大戦によって、大会開催を放棄。オリンピックはここからは1948年のロンドン大会まで空白の時期を迎える。そして、副島はIOC委員を辞任。1938年7月17日付東京朝日朝刊の「責任と信義と不満 語る三重の苦衷」というインタビュー記事で「返上論の導火線が伯自身であったことを明らかにして」次のように語っている。

「実は東京招致に決定したとき、私は既にIOC委員を辞任する覚悟だったのです」「しかし、ベルリンでいろいろな空気を見せられた私は、東京大会を立派にやり遂げる責任を感じて、今日まで踏みとどまっていました」。

 副島はその後、1948年10月に亡くなるまで、表舞台に立つことはなかった。そして、果たせなかったオリンピックへの執念を持ち続けた人々によって24年後の1964年、東京で悲願のオリンピックが開かれる。

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副島道正 ©文藝春秋

課題は「2020年」にも重なる

 1940年東京オリンピックの挫折の軌跡を見ていると、2020年東京オリンピックにも重なる課題がいくつもある。

 主催都市と組織委の不協和音は、今回も都知事と組織委会長である元首相の間で何度も露呈した。会場準備と予算の“ゴタゴタ”はさらに深刻。前回オリンピックの閉会セレモニーで首相がゲームキャラクターに扮して登場するのは、都市よりも国家が前面に出たベルリンを連想させる。1940年は関東大震災から復興した首都の姿を世界に見せることも目的だった。

 今回、東日本大震災からの復興を旗印にした「復興五輪」の実態はどうなのか……。いま80年前を振り返って現在を考える意味は大きい。

【参考文献】
▽橋本一夫「幻の東京オリンピック」 NHKブックス 1994年
▽岸同門会「岸清一伝」 大空社 1988年
▽講道館監修「嘉納治五郎大系第8巻」 本の友社 1988年
▽「東京百年史第5巻」 ぎょうせい 1979年
▽「決定版昭和史8」 毎日新聞社 1984年