「パノラマカーの白井と言われるほどの有名人でしてね。ちょうど国鉄が無煙化を進めている時代で、ちょっとしたSLブームが起きていた。ならばSLだということで目をつけて、1970年秋から井川線千頭~川根両国間でミニSLを走らせたんです。1976年から本格的に本線でSLの運行がはじまりました。観光路線化、そして消えゆくSLを走らせる保存鉄道化、ですね」(山本さん)
機関士や整備の技術者は国鉄の退職者たちを中心に、自社のはえぬき社員が担当。彼らから次の世代に技術を継承し、半世紀がたった。その間、井川線にも大きなドラマがあったという。大井川上流の長島ダムの建設にあたって、井川線の線路がちょうどダム建設地に含まれていたのだ。そのままだと水没してしまう。もとより電源開発を目的に建設されたやや特殊な路線だったから、普通ならば廃止になるところ。しかし、大井川鐵道はそこでも“保存”の道を突き進む。全国で唯一のアプト式によって90‰もの急勾配を登る新ルートに付け替えたのである。1990年のことだ。
世界的に有名 湖の上の“絶景駅”
アプトいちしろ~長島ダム間は補助機関車を連結、2本のレールの中央にあるラックレールに歯車を噛ませてのぼりおり。両駅ではこの補助機関車の連結作業が行われ、これもまた井川線の見どころのひとつだ。さらに、新線区間に誕生した奥大井湖上駅は世界的に有名な観光地になった。
「文字通り湖の上にあるような駅でして、去年クールジャパンアワードを受賞したんです。去年はラグビーワールドカップがあって、静岡でも袋井が会場になったじゃないですか。あの、日本がアイルランドに勝った試合とか。それで試合観戦のついでに奥大井湖上に来て写真を撮っていく外国の方がたくさんいたんですよ」(山本さん)
こうして、日本では“SLの運転”で知られていた大井川鐵道はその名を世界に轟かせた。実際、奥大井湖上駅に訪れるとその絶景ぶりに息を呑む。接岨湖(長島ダムのダム湖)に突き出た陸地の先っちょに小さなホームがあって、その前後はダム湖を跨ぐ橋梁になっている。レインボーブリッジと名付けられた(実はお台場のアレよりも先輩なんです)その橋は、線路の脇を歩いて渡ることもできて、湖上から数十mという高さを楽しむことも。いや、怖いんですよ、怖いんですけど、やっぱり絶景のほうが勝つ、そういう奥大井湖上駅なのだ。
ちなみに、ホームの上には「愛の鍵箱」というオブジェがあって、カップルが愛を誓って錠前をかけて傍らのベルを鳴らす。これがこの駅での愛の儀式だとか。筆者が訪れたときにも(たぶん)カップルが楽しげにベルを鳴らしていた。いや~羨ましいですねえ……。