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「私たちはヒーローなんかじゃない」という当事者からの叫び

 一連のツイートを追えば、ひうらさんや他の漫画家さんが他意はないのはもちろんのこと、いわゆるエッセンシャルワーカーたちに対する敬意は痛いほど伝わってきます。そしてこういう原稿を書くと「お前は配達業者に除菌スプレーかけてもいいっていうのか!」という謎のお叱りが飛んできますが、無論そんなわけない。3.11型の「応援」が功を奏さないどころか、当初の思惑とは全く違う方向に受け取られてしまう、これもその一例だということです。

 ただ今回の炎上にはもう少し根深い「断絶」も感じます。

 このハッシュタグに異を唱えていた方々の多くが口にしていた「私たちはヒーローなんかじゃない」という叫び。ヒーローとは苦境を救う英雄のことですが、彼ら彼女らは自分たちが英雄化されることにものすごい違和感を覚えたようでした。それはおそらく、知らぬ間に勝手にヒーローにされてしまう戸惑い。「安全地帯から絵を描く」という行為と、自分たちが今置かれている過酷な現場との如何ともしがたいギャップを、ニコニコ笑う店員さんや美形の配達員、キリッとした医者や看護師のイラストに見てしまったのかもしれない。

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©iStock.com

「ヒーロー」という言葉はとてもしんどい。そこにはどうしたって「善良で、無私、無欲、使命感に燃えている人たち」というキャラ付けがされますからね。自分は自分の仕事をやっているだけなのに孫悟空みたいなキャラを押し付けられるしんどさです。それは「被害者/被災者」とされる方たちにもあるかもしれない。私たちは私たちにとってふさわしい「被害者」しか「被害者」として認めない、認めたくないとこあるじゃないですか。正しくて弱い存在であるべき被害者がちょっとでも調子こけば、その受けた害がどんなに深刻なものであろうと「自業自得」とされがちです。

「応援」や「感謝」で気持ちよくなるのは自分

 このハッシュタグを「被災地に贈られる千羽鶴だ」と喩えている方もいました。ただ匿名性の高い千羽鶴と比べると、#GratefulForTheHeroes絵にはどうしたって描く本人の個性、エゴみたいなものが内包されてしまう。「感動ポルノだ」という反発の根源は多分そうしたうっすら垣間見える「エゴ」なのでしょう。「同情するならカネをくれ」じゃないですが、実質的な待遇改善を求めているときに与えられる一方的な「感謝」は、悲しいことに感情の逆撫でにしかならない。

 #GratefulForTheHeroes絵はほんの一端で、絶対やっちゃってますよ、私も。3.11とは全く異なる構造との戦い、つまり「感謝」の快感は既に終わりを告げていて、今私たちは無自覚な「気持ちよさ」との戦いを迫られている気がするのです。「応援」や「感謝」で気持ちよくなるのは自分で、しかしそれは誰かにとってとても気持ち悪いことかもしれない。明確な「被害者」ではなく、無自覚な「加害者」を生み続けてる、それがコロナウィルスの真の怖さのように思います。