昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2020/04/29

genre : ニュース, 国際

 ちなみに、ベルン時代の2人の面倒を見ていたのが、当時の駐ジュネーヴ代表団公使で、金正恩体制で外相などを務めた李洙ヨン (リ・スヨン)前党副委員長だ。李洙ヨンはこの経歴のおかげだろうが、金正恩が権力を継承した後、出世街道を行くことになる。 

正恩のヘアスタイルもコーディネート

 スイスから北朝鮮に戻った与正を待ち受けていたのは、金正日体制の下、“お姫様教育”だった。

 北朝鮮最高峰の大学・金日成総合大学に入学したのは、2007年ごろ。物理学を専攻したというが、一般的な4年の学部課程ではない。与正のために新設された6カ月間の「速成課程」への入学だった。いわば、与正に箔をつけるための教育課程なのだ。

 そして2011年12月、父・金正日の葬儀の場に姿を現す。これが、与正が公の場に出た最初の場面だ。

 金正恩体制になると、2012年に国防委員会の行事課長に就任。「行事課」とは、兄の金正恩の現地視察や行事などの日程すべてを密着しながら管理する部署だ。与正のアドバイスは日程だけに止まらず、なにかと話題となる正恩のヘアスタイルから、眼鏡のフレームまでコーディネートしていると言われている。

 このように韓国においても、与正の幼少期の「子どもらしい」エピソードはほとんど伝わってこない。

 数少ない報道の一つが、与正が3歳くらいだった1991年5月、母親である高容姫や兄・正恩とともに東京ディズニーランドを訪れていたというものだ。2012年には、正恩の指示で結成された「モランボン楽団」が、洋楽にあわせてミッキーやミニーを思わせる着ぐるみが登場する“ディズニーもどき”の公演を行っている。これも、2人の兄妹の思い出から発案されたものなのかもしれない。

板門店で行われた南北首脳会談にも金与正(右)は同行していた(2018年4月) ©AFLO

笑顔の“外交デビュー”となった平昌五輪

 彼女の“外交デビュー”は2年前の2018年2月、平昌五輪の開会式のための韓国訪問だった。

 当時、長距離ミサイル問題などでアメリカと激しく対立していた北朝鮮。この重要な局面で、与正は平昌五輪の開会式に出席する代表団の特使として韓国に現れたのだ。肩書きは「党中央委員会第1副部長」だ。

 到着してまもなく、象徴的なシーンがあった。舞台は、韓国側の関係者が待ち構えていた仁川空港の貴賓室。

 専用機を降りて、貴賓室に北朝鮮訪問団の一行が入ってくると、北朝鮮の憲法上の国のトップである金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長が中央の上席を与正に譲って、先に座るように勧めたのだ。2人の年齢差は60歳以上。与正が「北のナンバー2」であることを内外に示したのである。

 金一族で初めてソウルと大統領府を訪れることになった与正は、文大統領への表敬訪問の席でも、ナンバー2の振る舞いが続いた。文大統領に金正恩からの「親書」を伝達したのも、金永南ではなく与正だった。さらには、彼女の口から文大統領に「大統領と早期に会う用意があります。都合の良いときに来てください」と訪朝を要請した。