「正しい」知識があれば行動は変わるのか?
新型コロナウイルスに感染しないための「正しい」知識として現在言われていることは、3密(密集、密接、密閉)を避けることだと言われている。ただし、このような「正しい」知識があるからと言って、必ずしも人々の行動が変わったわけではない。
例えば、パチンコ店などの遊戯施設に行く人たちは、感染するかもしれないし怖いと言いながら行くことを止めることができない。「正しい」知識があるだけでは、行動はなかなか変わらないのだ。
1980年代のHIV流行時も同様の難しさに直面した。HIV感染を予防するためには、セックスの際にコンドームを使うことが必須となる。ただし、コンドームを常に使用できる人もいれば、できない人もいる。なぜならば、セックスは二者(以上)の関係の中でなされるものなので、一人の意思決定ではなかなか「行動変容」を起こせないという難しさもあった。
HIVに感染しないための「正しい」知識と強い意志をもつことが感染拡大を防ぐと言われた。もちろん一部の人たちにはこの方法は効果があったが、全体としてこれだけではなかなか予防はうまくいかなったというのがエイズ・パンデミックから人間が学んだ一つの教訓である。
知識はコミュニティに根付くもの?
この「『正しい』知識を持つことで行動変容を促す」という予防法にあまり効果が見られないと言われたはじめた1990年代、HIV感染予防に関する考え方が大きく変わっていった。個人ではなく、コミュニティを対象にした予防介入が効果的だと言われはじめたのである。
「知識はコミュニティに宿る」という考え方がこの方向転換のベースにある。近年の学校現場で取り入れられつつあるアクティブ・ラーニングをイメージしてもらえると分かりやすい。HIV予防についても、知識を教師から生徒に一方的に教え、生徒が受け身に吸収するのでは効果は限定的である。
したがって感染リスクにさらされた「仲間」同士で、互いに実践的・積極的に学んでいく必要があると言われはじめた。
例えば、HIVの感染リスクに最も脆弱な人々として同性愛者たちがいた。1990年代半ば以降、海外のエイズ活動家やゲイの研究者たちが、「HIV感染予防によって重要なのは、感染に立ち向かうための差別に負けない『ゲイ・コミュニティ』を作ることだ」と言いはじめた。
HIVの流行にともなって社会は同性愛者に対する差別や偏見の眼差しを強めていったが、一方で同性愛者たちは、HIV感染予防のための様々な工夫を自分たちで発明していった。コミュニティ内の同性愛者たちは、そうした知識やリソースを互いに共有し、広めていったのである。日本でも1990年代半ばから、この予防法が導入されていった。