非常時にこそ弱者は「自分はいないほうがいい」と感じている
今、多くの人が大変な状況に陥っている。「他者の存在を認めるなどと、そんな架空世界の美辞麗句に心を動かされている余裕はない」と思われる方も多いだろう。確かに、平時の前提で設計されている我々の社会は、非常時には竜宮島よりも脆いことを露呈した。
竜宮島の大人には皆、平時・非常時それぞれの職業がある。平時に重労働する人は非常時には負担や危険が少ない持ち場に、非常時に危険や責任が大きい人は平時はのびのび暮らせる仕事に配置すれば、住民の間で負担と役割をバランスよく分散させることができる。
現実社会はそういう風にはなっていない。平時から負担の大きい医療・介護等従事者には、非常時には一層過重な負担がかかる。翔子や私をはじめ障害等何らかのハンデを持ち平時から周りの足を引っ張りがちな人は、非常時こそより一層強く足を引っ張る。そういう人達の中には普段から「自分はいないほうがいい」という思いを抱えている人も多い。そして非常時にはその気持ちが更に強まる。
だがたとえ社会的には「お荷物」でも、仲間達は内心では生前から翔子をとても大事に思っていた。願わくば、それをもっと積極的に伝えてあげて欲しかった。そうしていれば、もしかしたら翔子は自ら戦闘を志願はしなかったかもしれない。少なくとも、本編とは違った形で自分という存在を大切に思えたのではないか。しかし仲間達がそこに思い至ったのは、翔子がいなくなった後だった。
気にかけるということは、相手の存在を認めること
今は非常時だ。誰もが命の危険に晒され、他者と関われる頻度も減っている。ある日突然、大切な人と永遠に言葉を交わせなくなるかもしれない。その前に、あなたの身近にいる人、中でもとりわけ社会的に「お荷物」「弱者」と見なされがちな人達を気にかけてあげてほしいのだ。
彼らは今も、自己否定と孤独に戦っているかもしれない。だから「私はあなたを大切に思っていますよ」ということを電話でもSNSでも手紙でもどんな手段でもいいから伝えてほしい。気恥ずかしければもっとカジュアルでもいい。「元気?」とたった3文字メールするだけでもいい。ほんの少しでいいから連絡を取ってみてもらえないだろうか。
それは同情とは全く違う。相手を気にかけるということは、相手の存在を認めることに他ならない。誰もが余裕を失っている今だからこそ、「私の心の中に、あなたのための部屋もちゃんとあるよ」「あなたは確かにそこにいるよ」というメッセージを送ることが何よりの励ましになる。
私にもずっと、自分がどこにもいないような感覚があった。だが今は確かにここに存在している。そう思えるようになったのは、社会的価値が高まったからではない。心の部屋に私を住まわせてくれる人達に出会えたからだ。友人がいて、ヘルパーさんがいて、そして何よりも、私の書いたものを受け止めてくれる人がいる。それは、この長い文章をここまで読んでくれた、画面の前のあなたのことだ。
あなたはそこにいますか?