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 ただ、これは心霊現象ではない可能性も高い。鉄道の「幽霊騒ぎ」で消えた人物については、その後の調査や監視カメラの確認で、「実際に生きた人間が線路上に落ちたのだが轢かれず、その後に逃げ去っていた」と判明するパターンも多い。当時の武蔵小金井駅ならば、開かずの踏切で立ち往生した誰かが、間一髪で衝突をまぬがれ、そのまま逃げたとも考えられる。

 真偽のほどはともかく、こうした出来事を人々が「幽霊騒ぎ」と見ること自体が重要なのだ。Kさんの体験もSNS時代であれば、即座に怪奇ニュースとして拡散されていただろう。

「境界」が魔を生み、怪異が生まれる

 よく指摘されることだが、怪異とは「境界」で発生するものだ。橋の上や夕暮れのような、あちら側でもこちら側でもない空間・時間に、魔が生じる。

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 踏切はまさに「境界」の典型例だ。その中で立ち止まるものなどおらず、人々はただ、いそいそと線路を横切っていくだけ。ただ通過するためだけの、どこにも属さない空間なのである(なにしろ留まれば死に繋がってしまうところなのだから)。

 跨線橋や立体高架と違って、いてはいけない境界上に人がいる。当たり前すぎて気づきにくいが、踏切とは、そうした危ういバランスで成立している場なのだ。だから飛び込み自殺や、線路上に取り残されることでバランスが崩れたとたん、たちまちそこに怪談が生成される。

※写真はイメージです ©iStock

 冒頭で述べた通り、こうした境界の場とは、経済効率としては無駄な余白なので、都市の発展につれて排除されていく。

 私はなにも、そのことに反対している訳ではない。ただそうした境界の場が排除された後も、残り香だけはただよい続けているのかもしれない……ということを指摘しておきたいのだ。今回紹介した二つの踏切跡地で、昔と似たような怪談がささやかれているように。