「テレビなめてんのか!!」から生まれた伝説
収録を前に、ネタは何本持っているかと訊かれ、3つしかなかったにもかかわらず、10本持っているとウソをつくも、すぐにバレてしまう。ADから「テレビなめてんのか!!」とさんざん怒られたあげく、収録までの数日間、局のリハーサル室に閉じこめられ、スタッフたちとネタをつくった。しかし無理やりつくったネタは当然のように面白くなく、結局、番組の半分以上がトークという編集にされてしまう。ネタで
《光浦が「私たちブスは、早稲田の男子から口をきいてもらうこともなく、一番端っこの“ブス席”で飲んでた。そしたらその日、『今日はゲストとして、なんとフジテレビに内定を受けたアナウンサーが来ます』って西山さんが現れたんだ」と物怖じもせず一気にまくしたてた。「男子からバカみたいにチヤホヤされてたアンタには私たちブスの苦しみがわかってないから!」「いや、そんなことないです」って西山は一応言うんだけど、わかるはずがない(笑)》(※4)
片岡は、《たぶん、テレビの歴史で初めて、いわゆる自虐のブストークが面白くなった》と、このときのトークがエポックをつくったと評している(※4)。事実、テレビのクロストークでブス役に徹しながら、女子アナウンサーやアイドルなどを“美しい敵キャラ”とみなして攻撃し、笑いをとる手法は、オアシズ以降、多くの女芸人に広まっていった。
「きょうもダメだった」光浦の“地獄のような日々”
翌1993年、光浦は新たに始まった深夜のユニットコント番組『とぶくすり』(フジテレビ)の出演メンバーに抜擢される。共演するのはやはり『新しい波』で才能を見出されたナインティナイン、よゐこ、極楽とんぼという面々で、女芸人は光浦のほかに本田みずほがいたものの、大久保は外された。これについて同番組でもディレクターを務めた片岡飛鳥は、《当時の僕はマンガみたいなブスだった光浦にだけ目を奪われて、目立たなかった大久保のことは『とぶくすり』に起用しなかったんです》と後年明かしている(※4)。