こんな時間をかけているんだから……
――黒田さんは、プロになった現在も松山にお住まいですが、今は飛行機ですか?
黒田 そうですね。基本的に対局の前日に大阪に着いていないとダメなので、前日に飛行機で行ってホテルに泊まっています。
武富 私は研修会時代から飛行機でした。今は大学のキャンパスに近い大阪に住んでいますが、それまではずっと佐賀に住んでいました。研修会には高校1年生の夏に入会して、そのとき父が単身赴任で東京に住んでいたことと、飛行機で東京に行ったほうが関西よりも便利なので、自宅から東京に通っていました。
――当日に飛行機に乗るんですか?
武富 研修会は日曜日にあるので、だいたい前日の土曜日に飛行機に乗っていました。もしくは金曜日の夜に行って、土曜日は荻窪の道場などで練習将棋を指していましたね。日曜日の研修会が終わったら、夜8時頃の最終便に乗って帰る。そして次の日は学校ですね。
栃木県小山市から東京の将棋会館に通った長谷部さんは、三人のなかで唯一の電車組。とはいえ、その道のりは片道で2時間以上かかるという。
長谷部 まず最寄りの駅に行きまして、そこから湘南新宿ラインで新宿まで出て、総武線に乗り換えて千駄ヶ谷ですね。だいたい2時間ちょっとでしょうか。奨励会は9時からなので、5時半に起きて6時20分の電車に乗っていけば30分前に着く感じですね。
武富 近いですね。
長谷部 そうですね。栃木ってイメージからすれば、意外と近いですね。今は、新幹線を使っているので1時間半です。お二人にくらべれば近いですが、それでもやっぱり遠いので、ハングリー精神みたいなのはあったかなとは思います。
やはり遠くから通うのは、なかなか大変なことだ。こんな時間をかけているんだから「負けられない」――。それこそ長谷部さんが口にしたハングリー精神が、三人をプロへと導いたという背景は少なからずあるのだろう。続いては、これもハングリー精神につながると思われる「棋士が少ない県で苦労したこと」を話してもらった。
棋士が少ない県で苦労したこと
武富 佐賀県は、今まで棋士がひとりもいなくて女流棋士も私が初めて。そのうえ奨励会員も研修会員もいままでゼロなんです。そして県内には、将棋道場もなくて指すところといえば、碁会所と一緒になっていたり、図書館の隅っこにちょっとある程度。だから小学4年生で福岡の将棋会館に通い始めるまで、ライバルは兄しかいませんでした。
ライバルがいないという状況は、けっこう辛いところかもしれません。私は、同年代で強い相手は兄しか知らなかったので、全国大会に出るまでは、きっと自分が最強だと思っていました(笑)。こんな謎の自信も、ライバルができにくいのが影響していましたね。あと大会は全国大会につながるアマチュア竜王戦、アマチュア名人戦、こども将棋名人戦くらいで、それ以外はありません。女子で出場しているのも、ほぼ私だけでした。