研修会で負けた帰り道には

 パイオニアに苦労はつきものだが、佐賀県で初めて女流棋士になった武富さんは、やはり対局場の少なさ、対戦相手の少なさをいつも感じていたという。ただそういった環境面よりも辛かったと口にするのは、研修会で負けたときの帰り道だった。

武富 研修会で負けたとき――たとえば今回連勝すればクラスが上がるというときに連敗すると、今までの4回分くらいの星が消えてしまうんです。そういったとき、東京まで飛行機で往復して対局したことに、何の意味があったんだろうと考えてしまって……。飛行機で帰るとき苦しかったですね。

 いつも母が空港まで迎えに来てくれていたんですが、悪いとは思っていても車の中で無口になって家の雰囲気も悪くなって……。申し訳ない気持ちと悔しい気持ちでいっぱいの、帰りの飛行機と車の中の時間が辛かったですね。

 家族の支えが本当にありがたかったです。すごくポジティブな父と母で「がんばりんしゃい。がんばりんしゃい」といつも後押ししてくれました。

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武富礼衣女流初段

黒田 自分はどちらかと言えば負けは引きずらないタイプで、奨励会で連敗してもフェリーに乗る頃には「次は頑張ろう」と切り替えられていることが多かったです。ただ、三段リーグで勝てば昇段戦線に残れるという一局でひどい負け方をしたことがあって、将棋会館から港まで電車で1時間弱かかるところ途中の駅まで2時間ぐらい歩いて帰ったことがあります。

「それじゃご飯食べられないだろう」って言われた

――長谷部さんは、どんなことに苦労しましたか?

長谷部 棋士がいない県なので、棋士になるということをなかなか理解してもらえなかったことでしょうか。高校生のとき、担任の先生に進路を聞かれたとき「棋士になるつもりでずっとやってるんですけど」と答えたんですが、先生は棋士の仕事を知らなくて「それじゃご飯食べられないだろう」って言われたんです。それでちょっとカッとなってしまって高校を辞めそうになりました(笑)。

武富 それ、私もまったく同じでした。研修会のある土日に模試があったんですが、良い顔をされないことがたびたびありました。

長谷部 わかります。

武富 やはり身近に棋士の先例がないので、理解がないなとは思いました。

長谷部 自分が頑張ってその先例になり、後の子たちが同じような思いをしなくて済むといいなという想いはありました。

 あと苦労したのは、情報不足でしょうか。小学3年生のとき名人戦の東日本大会に出たんですけど、そのとき当たった三枚堂さん(達也七段)が中飛車をやったんですが、そのとき中飛車を初めて見たんですよ。ビックリしましたね。栃木にはこんな戦法はないなって(笑)。

©︎文藝春秋

黒田 子どものころは、全国大会に行っても当たる相手のほとんどは初めて指す人が多かったですね。ただ、周りの都会勢を見ると、お互いに指し慣れている雰囲気だったので少し差を感じました。

 ちなみに長谷部さんが5月中旬に刊行した書籍のタイトルは『堅陣で圧倒!対中飛車一直線穴熊』(マイナビ将棋BOOKS)。表紙カバーには《全中飛車を殲滅せよ》と書かれているが、この中飛車対策書の根底には「栃木にはこんな戦法はないな」という幼少期の体験があるのかもしれない。

 なお長谷部さんが棋士を志したのは、この幼少期に出会った三枚堂達也七段や、佐々木勇気七段、高見泰地七段といった同世代の才能のある人たちと同じ場所で指したいという想いがあったからだという。

堅陣で圧倒!対中飛車一直線穴熊』(マイナビ将棋BOOKS)