わが機関車は広島貨物ターミナル駅の構内へ
天神川駅の手前で敷地が広くなると、線路は数え切れないほどに増殖していく。いつの間にか広島貨物ターミナル駅の構内に入ったようだ。わが単599列車は、そのほぼ中央を、徐々に速度を落としながら進んでいく。
無数の機関車や貨車が点在する構内に、わが機関車の進む線路だけがきれいに開かれている。モーゼの眼前で海が二つに割れるがごとく――。
その割れた真ん中を最徐行で進み、信号機の手前でいったん停車。その後再び動き出し、先ほど1056列車に乗り込んだ場所よりさらに奥、広島カープの室内練習場の脇にある「西機待1番線」まで進んで停止した。
16時17分。強烈だった西日は、かなり低い位置まで沈んでいた。
廃車を待つ赤い色の機関車
機関車を降り、駅本屋の前の駐車場まで線路際を歩いていく。
線路を渡る時には、前を歩く山田さんの真似をして、指差し確認をする。最初は何となく恥ずかしかったのだが、3度目ともなると慣れたもので、少しは堂々と指をさせるようになったのではないかと思う。
駐車場に戻る途中に、赤い色の機関車が留置されている。
EF67型電気機関車。
1989年に、この「瀬野八」で後押しをするための専用機関車としてEF65型から改造された車両だ。いまでは今日乗ったEF210に主役の座を奪われ、夜間から早朝にかけて運用に入る程度の位置付けに追いやられている。すでに次回の全般検査の予定はなく、廃車の時期が近付いている。
昭和生まれの記者は、どうしても昭和の機関車、国鉄時代の機関車を贔屓目に見てしまうのだが、実際に乗ってみると、その乗り心地はかなりの差がある。
これまでに記者が乗った機関車は、最初がEH500(金太郎)、次がEF65(1000番台)、そして今回のEF210(桃太郎)だ。このうちEF65が昭和(国鉄)の機関車で、残る2つは平成(JR)の機関車。EF65には申し訳ないが、その居住性は雲泥の差があった。操作性もEF65はとても複雑で難しそうだった。もし記者が運転士だったら、やはり平成の機関車に乗務したいと思うだろう。
しかも、EF67には冷房装置がない。温暖化の進んだ現代において、夏場に乗務する運転士の苦労は並大抵のものではないという。
「でも、ロクナナに乗っていると沿線から写真を撮られることが多いんです」(加川さん)
どんなに暑くても涼しい顔をしていなければならない。
昭和の機関車は乗るよりも、眺めて愉しむ対象なのだ。
機関区長のお出迎え
山田さんの運転する車で、天神川駅近くにある広島機関区に移動する。
歴史を感じさせる武骨な造りの機関区で、機関区長(当時)の賀屋繁さんが迎えてくれた。
機関区を入ったところに安全運転や職場環境の改善を呼びかけるポスターが貼ってある。聞けばこのポスターのイラストは、先ほど添乗した機関車に指導係として乗務していた加川尚さんが描いたものだという。機関車も運転できて絵も描ける、多才な人だったのだ。
機関区とは、貨物列車の乗務員(以前は寝台特急の機関士も)が所属する部署。広島機関区には96名の運転士を含む106名の職員が所属し、山陽本線の岡山貨物ターミナル駅から山口県下関市にある幡生操車場までの379.5kmを担当している。