広島貨物ターミナル駅から山陽本線上り線を、15両編成の貨物列車の最後尾に取り付いて、JRの幹線として最大クラスの勾配がある「瀬野八(せのはち)」を後押ししてきたEF210-313号機。
西条駅の3番線で我々を切り離し、出発していく第1056列車を見送った我々4人は、電気機関車の中を通って反対側(門司方)の運転台に移動した。
列車番号「単599」に。来た道を戻る
来た時と同様、進行方向左側の運転席に運転士の坂林大輔さんが座り、その後ろに指導係の加川尚さんが立つ。進行方向右側の助手席に記者が座り、その後ろにJR貨物広島支店長の山田哲也さんが立つ。
本来記者ごときが座るのは申し訳ないような上等席である。「せめて帰りだけでもどうぞ」と山田さんに席を譲ろうとしたのだが、「そういう訳にはいきません」と断られてしまった。恐縮しながら再び助手席に座る。
西条駅長と運転士の間で無線機テストのやり取りがあり、それが終わると運転台は静寂に包まれる。完全な無音に支配された。
「単599列車」に列車番号を変えたこの機関車は、いま来た道を通って広島貨物ターミナル駅に戻っていく。出発は15時40分。発車まで15分以上ある。
我々4人はその間を、ほぼ会話をすることなく、無言で過ごした。
発車を待つ「神聖な空白」
普通、近くに人がいるのに会話をしないのはストレスを伴うものだ。無理にでも話題を見つけて話しかけたほうがいいような気もする。しかし、記者は会話をしなかった。その静寂を心行くまで楽しんでいた。
文豪内田百閒は名著『第二阿房列車』(旺文社文庫)に収載された『雪中新潟阿房列車』の中で、こう記している。
〈少し早目に乗り込んでゐて、さうして発車を待つ。なんにもする事はない。その間の時間が実にいい。神聖な空白である〉
百閒先生は一等車があれば一等車に乗り、一等車がつながれていないときは仕方なく二等車に乗る偉い人だ。そこで「神聖な空白」を楽しんでいたわけだが、記者はもっと上等な「貨物列車の機関車の運転台」で「神聖な空白」を楽しんでいるのである。「実にいい」にも拍車がかかる。
普通の電車の運転台よりも一段高い位置にある電気機関車の運転台から眺める見晴らしは絶景だ。しかも、これから楽しい貨物列車の旅が始まるのだ。そんなひと時が、楽しくないはずがない。
記者のように「事情があって運転室に添乗させてもらっている者」は、走行中に乗務員に話しかけることが許されていない。いまは停車中だが、いつ無線で指示が流れてくるかもわからない中で話しかけるのは憚られる。そもそも記者は貨物列車の機関車の運転台に乗れるだけで幸せなので、何時間でもおとなしくしていられる。何の問題もない。
このあとも記事の中で乗務員のコメントが出てくるが、いずれも乗務を終えて機関区に戻ってからインタビューした話を挿入したものだ。