《どうしても人間、人に認められたら、そこをもっと追求したいと思うのが自然な流れじゃない。(中略)やっぱり、だれだって自分のやりたいことを追求すればさ、結果として相手に自分を押しつける感じになっちゃうでしょ。そうなると、どうしても時代と合わない部分が出るし、流行歌としてはちょっと、という結果になる》(※2)。
筒美のやり方はこれとはまったく反対で、《自分が“新しくいる”ためには、何かを捨てていかないといけない》として、時代の潮流を常に採り入れてきた(※3)。デビューしてしばらくは自ら編曲もしていたが、70年代末から80年代にかけてディスコサウンドやテクノポップが登場すると、メロディをそれら新しいサウンドに乗せるべく、シンセサイザーなどを駆使できるアレンジャーに託すようになった(※4)。
80年代末にはバンドブームが起こり、その影響でヒットチャートから職業作曲家の名前が消える。そのころにはレコード会社と作曲家がチームをつくって歌手を育てるという体制も崩れていた。そんな変化のなか、筒美は、アーティストと1対1で向き合いながら曲をつくるようになる。90年代にはNOKKO「人魚」や小沢健二「強い気持ち・強い愛」など、Jポップのアーティストとのタッグでヒットを生んだ。70歳をすぎてからも、声優の竹達彩奈に曲を提供するなど、新しいジャンルに挑み続けている。
「王貞治が痔になったらどうするんだ」
立花や筒美と同じ1940年5月生まれには、彼ら以外にも各界で大きな足跡を残した人物が目立つ。米メジャーリーグ記録を上回る通算868本塁打の大記録を持つ王貞治は5月10日(戸籍上は20日)、写真家の“アラーキー”こと荒木経惟(のぶよし)は5月25日に誕生している。王は、中華料理店を営む中華民国籍の父と日本人の母の次男として、現在の墨田区八広に生まれた。荒木も同じく東京の下町、台東区三ノ輪の生まれ。写真を撮り始めたのは、下駄屋だった父の影響だという。高校は進学校だった都立上野高に通い、千葉大卒業後、電通のカメラマンを経てフリーとなった。なお、上野高の同級生には、水戸一高から転入してきた立花隆がいた。
荒木は全盛期の王を撮影したことがある。このとき、王が甲子園にも出場した早稲田実業時代には投手だったと知った荒