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80歳になった王貞治、アラーキー、立花隆…「幻の1940東京五輪」世代、なぜ巨匠ばかり?

「王貞治が痔になったらどうするんだ」

2020/05/28

 河内と読みは違えど同じ漢字一字の名前を持ち、昨年亡くなったドイツ文学者・エッセイストの池内紀(おさむ)も1940年生まれだった。ほかにもこの年に生まれた著名人をあげていくと、元国会議員の田中直紀(田中角栄の娘婿、田中眞紀子の夫)、写真家の篠山紀信、『1940年体制』という著書のある経済学者の野口悠紀雄など、思いのほか名前に「紀」の字の入る人物が目立つ。全員が全員、皇紀にちなんでの命名ではないのかもしれないが、あながち偶然とも思えない。そういえば、やはり同年生まれで、1964年の東京オリンピックのマラソン銅メダリストである円谷幸吉の名前にも「こうき」が入るが、こちらはもともと彼の父親が、自分の名前がいやで若い頃に幸吉と名乗っていたのを息子に与えたもので、皇紀はとくに関係ないようだ(※8)。

1940年5月13日生まれの円谷幸吉。国立競技場のトラックで最後にイギリスのヒートリーに追いつかれたものの、銅メダルを獲得した ©共同通信社

第一線で活躍する巨匠たちに忍び寄る病魔

 上にあげたうち篠山紀信は、同い年の荒木経惟と長らくライバルと目されてきた。90年代初めには、写真の虚実をめぐり2人が激しく論争を繰り広げたことが思い出される。60年代に活動を始めた両者は、いまだに第一線で活躍を続けている。

写真家・篠山紀信は1940年12月3日生まれ ©文藝春秋

 ただ、エネルギッシュに活躍してきた1940年生まれにも病魔は忍び寄る。大鵬は引退後、一代年寄となり大鵬部屋を開いたのち、1977年に脳梗塞で倒れた。それでも懸命のリハビリによって克服する。この入院中にリハビリを見てくれたインターン生と、それから25年ほどして医師として再会したときには、《自分はガンになりました。だけど、大鵬さんの一生懸命な姿を思い出して頑張り、最近、博士号を取ったんです》と御礼を言われたという(※6)。その大鵬も、2013年に心室頻拍のため、72歳で死去した。没後、国民栄誉賞が贈られている。

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 荒木経惟は70歳前後に前立腺がんや軽い脳梗塞に見舞われ、2013年には利き目だった右目を失明した。それでも、この体験から着想を得て、撮った写真の右半分を黒く塗りつぶしたり、カメラのレンズをわざと壊して撮影したりといった独自の手法で作品を発表し続けている。

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