河内と読みは違えど同じ漢字一字の名前を持ち、昨年亡くなったドイツ文学者・エッセイストの池内紀(おさむ)も1940年生まれだった。ほかにもこの年に生まれた著名人をあげていくと、元国会議員の田中直紀(田中角栄の娘婿、田中眞紀子の夫)、写真家の篠山紀信、『1940年体制』という著書のある経済学者の野口悠紀雄など、思いのほか名前に「紀」の字の入る人物が目立つ。全員が全員、皇紀にちなんでの命名ではないのかもしれないが、あながち偶然とも思えない。そういえば、やはり同年生まれで、1964年の東京オリンピック
第一線で活躍する巨匠たちに忍び寄る病魔
上にあげたうち篠山紀信は、同い年の荒木経惟と長らくライバルと目されてきた。90年代初めには、写真の虚実をめぐり2人が激しく論争を繰り広げたことが思い出される。60年代に活動を始めた両者は、いまだに第一線で活躍を続けている。
ただ、エネルギッシュに活躍してきた1940年生まれにも病魔は忍び寄る。大鵬は引退後、一代年寄となり大鵬部屋を開いたのち、1977年に脳梗塞で倒れた。それでも懸命のリハビリによって克服する。この入院中にリハビリを見てくれたインターン生と、それから25年ほどして医師として再会したときには、《自分はガンになりました。だけど、大鵬さんの一生懸命な姿を思い出して頑張り、最近、博士号を取ったんです》と御礼を言われたという(※6)。その大鵬も、2013年に心室頻拍のため、72歳で死去した。没後、国民栄誉賞が贈られている。
荒木経惟は70歳前後に前立腺がんや軽い脳梗塞に見舞われ、2013年には利き目だった右目を失明した。それでも、この体験から着想を得て、撮った写真の右半分を黒く塗りつぶしたり、カメラのレンズをわざと壊して撮影したりといった独自の手法で作品を発表し続けている。