さらに付け加えると、松永の通電による暴行は、彼女の肉体と精神を極限状態に追い込むほどに、苛烈なものだった。後に続いた裁判のなかで、2005年4月27日に緒方の弁護団(当時=最初の弁護団とは異なる)が福岡地裁小倉支部に提出した弁論要旨には、裕子さんの調書から引用した通電の状況が記されている。以下抜粋する。
裕子さんの調書「心臓がバクッとして、死の恐怖に襲われた」
〈平成8年10月、態度を豹変させた松永から受けた最初の電気ショックでは、松永がプラグとコンセントを両手に持って追求(ママ)し、答えられないと繋いで通電した。ピリッという痛みに加えて、通されることへの恐怖感と、いつ通されるか予測できない不安が辛かった。延々明け方まで続き、気を失った。その間の松永の言葉を全く覚えていない。
以後、連夜の通電を受け、意思も気力もなくなり、命令どおりに動く“操り人形”となった。いわゆる(※松永が主張する)SMプレイではなく、単なる拷問であった。別れたいと口にした時には、松永は激怒して延々と通電した。「自分で電気を通して死んだ馬鹿な奴がいる」と言われ、背筋が凍った。自分の子どもへの虐待を強制され、通電されたくない一心で手伝ったが、「手を抜いた」という理由で通電された。上半身裸で、蹲踞(そんきょ)させられ、両乳首にクリップを装着され、心臓が止まるのではという不安と息苦しさを覚えた。胸にドンという電気の衝撃があり、仰向けに倒れることもあった。膝の後ろに通電されると足が跳ね上がって倒れた。ほとんど全身に通電されたが、乳首がいちばん辛かった。乳首は特にデリケートなので、ちぎれるような痛みがあり、心臓がバクッとして、死の恐怖に襲われ、通電を終わってもビリビリ感、脈打つ感覚が残った。眉毛への通電では、目の前に火花が散って真っ白になり、そのまま失明する恐怖を覚えた。松永を見ただけで通電されるという恐怖感で震え上がった。一日中、いつ通電されるかの恐怖が続いた〉