速水 飲食店とかも完全にそうじゃん。好きだった店がつぶれて悲しいという声はたくさんあがるけど、常連として通っていた人はほとんどいないっていうさ。年に1回すら行ってない人でも、つぶれたら「悲しいです」って言うからね。
おぐら 実際に存続することよりも、思い出の中で生き続けることのほうが大事なんですよね。
速水 お金を使うことに対して、多くの人が鈍感になりすぎているという一面もある。いわゆる「金払うやつは情弱」ってやつ。本にしても何にしても、お金を払ってない人が「ファンです」って普通に言う時代。どんなものであれ、誰かがお金を払っているから成り立っているというのは当たり前のことなのにね。
おぐら ただ、今のコロナ禍で、エンターテインメント業界に限らず、個人が経営しているお店とかでもクラウドファンディングで支援を募る動きが盛んになって、続々と目標金額を達成しています。大きなところでは、「ミニシアター・エイド基金」に3億円以上の支援が集まったり。
速水 コロナを機に、それまで身近にあったものがなくなってしまうっていうことが、ようやく切実な問題になったんだよ。
テレビブロスは「先取りしたオンラインサロン」だった
おぐら もちろん、ブロスに関して言えば、中身に魅力がなくなったから読者も離れていったという側面は認めざるを得ないので、そのことに責任は感じています。
速水 ブロスって、雑誌と読者が同じ価値観を共有していて、同じものにツッコミを入れたり、連載している人たちを応援してたりって感じだったでしょ。つまり、まだネットが普及する前の90年代に、コミュニティとして成功していた。先取りしたオンラインサロン的な。今は完全にコミュニティの場所はネットに行ってしまったよね。
おぐら たしかにサロンっぽい雰囲気でしたね。ブロスの中だけで通じる言葉や流行があって、読者はサロンのメンバーとして、そのノリに参加することを楽しんでいた。
速水 それが今は完全にコミュニティの場所はネットに行ってしまったよね。ちなみに、ブロスはある時代のサブカルを牽引していたサブカル雑誌でもあったわけだけど、「またひとつサブカルがなくなってせいせいした」的な反響はなかった?
おぐら ほんのちょっとだけありましたね。
速水 ブロスの1ヶ月前、2020年3月号で休刊を発表した「映画秘宝」のときは、そういう反応はわりと多かった。
おぐら サブカルを悪しき慣習だと思っている人は、一定数いますからね。
速水 僕も苦手だったけど、鬼畜系、インディーズAVとかも90年代サブカルの一部として存在して、そのPC的な批判と「ようやく90年代サブカルが終わってうれしい」っていう声があるのは感触としてわかる。ある時代のサブカルは、マイナーなもの全般を好む脱政治的な趣味みたいにサブカルは思われていて、それが終わったというニュアンスの納得の仕方をしている人たちも多いのかなって気もする。マイナーであること=日陰ではなくなったという感じかもしれないけど。
おぐら ただ、映画秘宝は休刊を発表した3ヶ月後に、出版社を移っての復刊が決まりましたね。ブロスも5月に「TV Bros.note版」をリリースして、手探りの中どうにか再始動してがんばっています。
速水 ウェブでの再始動の場がnoteっていうのが時代だね。
コンテンツが死んだわけではなく、視聴や読書の習慣が書き換えられている
おぐら 今後、定期的に発信していくメディアにとって、いかにコミュニティを形成していくかっていうのは重要な課題ですよね。
速水 たとえばラジオでいうと、ラジオ好きも一定数いるけど、それよりかはラジオを聴くことが生活の中に組み込まれているかどうか、習慣化されているかのほうが大事で。
おぐら 熱心なファンでなくとも、ルーティーン化されると結びつきは強くなりますね。
速水 週刊誌もキオスクで買って電車で読むっていう習慣化の中で存在している。今はスマホの中でしかコンテンツが生きられないってことで、コンテンツが死んだわけではなく、視聴や読書の習慣が書き換えられている。だからこそルーティーンは大事。