人気リアリティ番組『テラスハウス』の出演者である木村花氏の自殺が報じられた。すでに日本のテレビ番組の制作体制の問題や匿名のSNSユーザーによる執拗な攻撃が批判されている。
これらの批判はもっともだが、人々の欲望と切ってもきれない関係にある映画やテレビの長い歴史から考えると、『テラスハウス』という番組はまさに映像産業が到達すべくして到達した姿にも見える。
究極的には私たちの欲望が今回の事件を生み出したのだ。この観点で『テラスハウス』事件に映し出される我々自身の欲望の問題を考えてみよう。
『テラスハウス』の2種類の快楽 「覗き見」と「関係性」
リアリティ番組という概念は非常に広い範囲をカバーするためその特徴を一般化することは難しいが、『テラスハウス』の人気は「窃視症(せっししょう)」と「関係性」という2種類の快楽で説明できる。
窃視症とは簡単に言うと覗き見見願望を指す。精神分析の影響を受けて様々な理論家が、映画というメディアの構造自体が他人の生活を覗き見するという快楽に依存していることを議論した。
こういった議論の中でも最も人口に膾炙しているものはローラ・マルヴィの「男性の眼差し」という議論だ。彼女は映画のカメラが異性愛男性の欲望を反映しており、女性はそのような眼差しの体制の中で対象化されていると論じた。マルヴィの議論はフェミニズム的な視点からのものであるが、覗き見には性差に関わらない快楽があることは多くのリアリティ番組の人気から窺い知ることができる。
もう一つの関係性の快楽とは、登場人物の人間関係が視聴者の消費の対象となっていることを指す。例えば、『料理の鉄人』のようなリアリティ番組であれば、あくまで料理の内容が興味の対象となる。しかし、21世紀初頭に大ヒットした『サバイバー 』から今回の『テラスハウス』に連なるリアリティ番組は、登場人物たちの間での恋愛や競争が視聴者の関心の対象となる。
この点は日本のアイドル研究ではよく議論されており、男女を問わずファンたちはグループ内のアイドル同士の友情や競争といった関係性を娯楽として消費していることが指摘されている。
『テラスハウス』は映像産業の忌み子ではなく嫡子
『テラスハウス』は、普通は見ることができない他人の日常生活を覗き見、さらにはその中で生じる人間関係の摩擦を娯楽として提供するものだ。このような窃視症と関係性の快楽の組み合わせは比較的近年のものかもしれないが、観客や視聴者の欲望にアピールする手法は20世紀を通じた映画とテレビの歴史の中で発展してきたものだ。