おぐら でもブロスの場合、番組表もありつつ、川勝正幸さんをはじめとしたコラム連載陣のファンが圧倒的に多かったです。
速水 うん。コラムのためにテレビ雑誌を買うという習慣を作り上げた当時のテレビブロスは、それまでの価値観をひっくり返したのはたしか。
おぐら 80年代から90年代までは、雑誌コラムの中に文化がありましたから。
速水 エロ本とかファッション誌でもそう。
おぐら コラムだけでなく漫画にしても、岡崎京子の『リバーズ・エッジ』は雑誌「CUTiE」に連載されてましたし。僕は井上三太の『TOKYO TRIBE2』は雑誌「Boon」で読んでましたよ。
速水 2001年に創刊された「LEON」が成功したときに言われたのは、コラムページがないって。巻頭や巻末に有名コラムニストの時評とか洒脱なエッセイとかがあるのが雑誌だったわけだけど、それはいらないって言われ始めた。それが20年前だよ。
読者投稿ページ「ピピピクラブ」は“共感のメディア”
おぐら 20年も前に雑誌コラム文化は衰退しはじめていたのか……。あと、ブロスはテレビ批評の場としても機能していました。90年代まではテレビがメディアの中心にいて、絶大な影響力があったので、批評のニーズもあった。他のテレビ雑誌は単純な番組紹介や芸能人のオフィシャルインタビューをやるくらいだったのが、ブロスはバラエティの企画やドラマの脚本に平気でダメ出しをしたり、芸能人の言動や振る舞いについても批評的に書いてました。それを牽引していた一人が、連載執筆者のナンシー関ですね。
速水 個人的には、ブロスがだめになったのは、読者投稿ページ「ピピピクラブ」が視点を一切更新しなかったからだと思ってるよ。良くも悪くもプチナンシー関になれる場だった。つまり、自分たちは普通の人とは違う視点でテレビを見ているっていう、視点の競争がピピピクラブなんだけど、それって明らかにネットの先取りだったんだよね。マスメディアでは持ち上げられている芸能人を、自分たちは斜に見てるよって。
おぐら 今ならツイッターで放送中にリアルタイムでやっているツッコミを、当時は雑誌の読者投稿ページが担っていたんですよね。まさに“共感のメディア”だった。
速水 でもその視点を一切更新せず、2010年代になっても続けていると、外からは2周遅れくらいに見えてきた。「え、この人たち、まだ織田裕二をいじってて楽しんでるの?」って、最初に感じたのは、2000年くらいかもしれない。
写真=鈴木七絵/文藝春秋