新宿歌舞伎町の通称“ヤクザマンション”に事務所を構え、長年ヤクザと向き合ってきたからこそ書ける「暴力団の実像」とは―― 著作「潜入ルポ ヤクザの修羅場」(文春新書)から一部を抜粋する。

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正しい訂正文の書き方

 組織からの理由あるクレームは、これに比べれば気が楽だ。不思議なことに暴力派として有名な組織からのクレーム電話は淡々としており、弱い組織からのそれは恫喝の嵐になりがちだった。

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 弱い犬ほどよく吠える――。

かつて筆者が編集長として刊行した「実話時代ブル」100号記念号

 そのことわざは、暴力団からのクレームに関してならほぼ正しい。ギャンギャン吠えられても、訂正文以上の落とし前を求められたら断るしか方法はない。

 訂正文を出さないことを名誉と考える同業者もいるようだが、それは単に突っ込んだことを書いていないだけではないか? 人間は完璧ではない。プロの校正を付けても誤植はなくならない。組織の体質や親密度にもよるが、親分、組長、幹部の名前を1文字間違っただけで、すぐ訂正文である。ただ、誤植が深刻なトラブルに発展することはまれである。悪意がないのは明白だから、大方のケースは訂正文で納得してくれる。問題なのは、記述全体がヤクザの名誉を傷つけている場合で、私の初体験はこれにあたる。落としどころは訂正文しかないにせよ、どうやって書いたらいいのか問題になる。なにしろ事実無根のことを書き飛ばしたわけではない。行為は実際にあったのだ。

 この1本に命を懸けた、というなら別だろうが、突っ張るのは馬鹿らしい。事実であろうがなかろうが、ヤクザ側が記事のおかげでイメージがダウンし、メシが食えないと言っているのだ。こっちが頭を下げ、訂正すればいい。

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無理をしてまで暴力団の記事を載せる必要があるのか

 ただしこれは、実話系雑誌だからできることで、新聞や一部の一般誌にはヤクザと同様のメンツがある。これは結構重い。マスコミの正義は書いた内容が事実か否かだから、私のように「内容はともかく謝っちゃえばいい」ではすまない。とくに新聞は、明らかな誤認――たとえば組織内の名称を誤記したケースでも訂正文の掲載に応じない。もちろん暴力団側も引かない。こんなときはひどくしんどい。間に挟まれ四苦八苦するのではない。そんなことにはもう慣れた。

 ことが大事になった時点で、以降、暴力団関連の記事が敬遠される。こうしたトラブルは、無理して暴力団の記事を載せる必要はない、という経験則として新聞社に蓄積される。ほかの分野にいくらでも事件はあるのだから、暴力団に関わるなんてとんでもない。こうなると、もう二度と仕事がこない。