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訂正文の実例
1985年8月29日号の『週刊実話』に載った訂正文は、暴力団たちのタブーを知るには格好の教材だろう。
「〔訂正とお詫び〕
『8月15・22日盛夏増頁合併号』の41頁『名古屋市港区内の路上で中本幹部らに短銃を向けた』2人は『助けてくれとさけんだ』とありますが、一和会五代目水谷一家隅田組より厳しい抗議があり、そのようなことは決してなかったとのことです。
2人は病院近くで何の言葉も交わすことなく、不意に撃たれたとのことであります。けがをした組員の方がはっきりいっております。
やくざ者として生きてこられた隅田組幹部・中本昭七氏の名誉にきずをつけるようなことを書きまして誠に申し訳ありませんでした。
深くお詫び申し上げますとともに訂正させていただきます。」
いまの実話誌は、こうした事情を嫌というほど分かっているので、なにひとつ確かなことは書かないようになっている。書き手が奮闘しても、それを校正で削るのが暴力団記事を作る編集者の腕の見せ所とされる。その点、昭和の実話誌は硬派だった。身をもって体験してきただけに、先輩諸氏の奮闘には頭が下がる。
クレームを防ぐことが最優先された編集部
編集部内のレクチャーで使われたのが、溝口敦の生原稿だった。当時、『実話時代』が依頼した原稿を使い、社長が赤ペンを持ちながら「この部分をそのまま出したら危ない」「こんな記述を載せたらやばいことになる」と指摘しながらバスバス削っていくのだ。本来、記名原稿なのだから、著者に確認をとらなくてはならない。しかし『実話時代』ではクレームを未然に防ぐことが最優先された。編集部の校正に異を唱えた書き手は、安全面の観点からすぐクビになった。