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清美さんに対する傷害罪だけは認めるが……

 これに続けて、原武裕子さんに対する監禁致傷罪に関しては、弁護人は次のように言う。

「公訴事実記載の事実については、全て否認し、被告人両名は無罪である」

©iStock.com

 最後に、同じく裕子さんへの詐欺・強盗罪について。

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「公訴事実記載の事実の内、乙女(裕子さん)からの現金交付の事実は認めるが、それ以外については全て否認し、被告人両名は無罪である」

 つまり、弁護側は清美さんに対する傷害罪だけは認めるが、それ以外は否認したということになる。

 次に検察官による、冒頭陳述が始まった。ここでは最初に〈被告人両名の身上、経歴等〉として、松永と緒方の出生から犯行時までの経歴が事細かに語られる。その内容については、改めてさらに詳細な取材結果と併せて別の回で後述する。

 続けて〈被害者両名の身上、経歴等〉が読み上げられた。そこで〈被害者甲〉と称された清美さんについての身上、経歴等は次の通りだ。

〈昭和59年(1984年)7月××日、北九州市門司区内において、父由紀夫(仮名)の長女として出生した。

 平成2年(90年)10月ころ、両親の離婚に伴って同区内に居住する祖父母方に引き取られ、同3年(91年)4月、同区内の小学校に通学した。

 同4年(92年)3月ころ、由紀夫の交際相手で同区内に居住する女性に引き取られ、同年4月ころ、同区内のマンションにおいて、由紀夫及び同女らとの生活を開始したが、同6年(94年)9月ころ、同市小倉北区内のマンションに転居し、由紀夫と二人暮らしをするようになった〉

通電で激痛を与えてショック状態に陥れた

 これに続いて〈被害者乙〉と称される裕子さんについての身上、経歴等、さらには本件犯行に至るまでの経緯が読み上げられるのだが、ひとまずは清美さんが被害に遭った事件に至る流れのみを抜粋して取り上げる。なお、冒頭陳述の内容をそのまま引用する箇所については〈 〉で区切ることとする。

 平成4年(92年)10月上旬頃、福岡県柳川市から緒方、そして自身が経営する会社に唯一残っていた男性従業員を伴って逃亡した松永は、石川県を経由して、福岡県内に舞い戻った。そして同年10月10日に、北九州市小倉北区内の不動産会社従業員だった広田由紀夫さんの仲介で、同区内のアパートを借りて移り住む。帯同していた従業員は平成5年(93年)1月に逃亡したが、その後も松永らと由紀夫さんとの関係は続き、平成6年(94年)8月時点で、松永らは由紀夫さんと頻繁に接触するようになっていた。

北九州監禁連続殺人事件をめぐる人物相関図

〈被告人両名(松永と緒方)は同年(平成6年)10月ころ、広田由紀夫及び被害者甲(清美さん)が北九州市小倉北区内の片野マンション(仮名)30×号室に転居したことに伴い、長男を連れて押し掛け、由紀夫及び被害者甲との同居を開始した。

 被告人両名は、その後、片野マンションにおいて、由紀夫及び被害者甲に対し、電線を剥き出しにした電気コードや、同電線に金属製クリップを装着した電気コードを用いて、その身体に通電させて、同部位の筋肉を激しく痙攣させて激痛を与えてショック状態に陥れたり、これを延々と繰り返すことによる恐怖感を与え、さらに、施錠した同マンション浴室での起居や断食等を強いたり、同被害者(清美さん)に通電を予告して恐怖感を煽った上、由紀夫の身体に噛み付かせるなどの日常的虐待を加え続け、由紀夫及び同被害者を支配下に置いて意のままに従わせていた〉