2002年7月31日に福岡地裁小倉支部で開かれた、松永太と緒方純子に対する第2回公判。法廷での検察官による、少女・広田清美さん(仮名)に対する監禁致傷罪の冒頭陳述が続く(冒頭陳述の引用は〈 〉内に記載)。

周囲には、美容師見習いを装うことを命じていた

〈被告人両名は、平成12年(2000年)3月に被害者甲(清美さん)が中学校を卒業した後も、被害者甲に対し、同被害者が合格していた私立高校への進学を認めず、伯母などの周囲の者に対しては、福岡市内で美容師見習いをして寮生活をしているように装うことを命じていた。

 そして、被告人両名は、平成13年(01年)8月ころからは、同被害者を北九州市小倉北区内にある泉台マンション(仮名=ウイークリーマンション)10×号室に移動させ、同室に居住させていた長男、二男及び被告人両名の保護下にあった2子(合計4子)の世話をするよう命じるとともに、同被害者に対し、「18歳になったら風俗嬢として働き、今まで育ててやった費用を返せ。」などと申し向けたり、連日のように、東篠崎マンション(仮名)に呼び出し、通電暴行を加えるなどしていた〉

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 松永と緒方は、当時17歳の清美さんを通電による暴行で脅し、自分の子供と、松永が騙してカネを引き出すために田岡真由美さん(仮名)から預かっていた子供らの、世話をさせていた。

「このままでは被告人両名に殺されかねない」

 そうした生活から清美さんが最初に逃走を図ったのは、泉台マンションに住み始めて5カ月が過ぎた、平成14年(02年)1月のことだ。同月23日頃に、松永と緒方から東篠崎マンションに呼び出された彼女は、「電話の応対が悪い」と顔面を殴打され、同マンションに軟禁された。そして29日にふたたび泉台マンションに戻され、子供たちの世話をすることになったとき、〈このままでは被告人両名に殺されかねないと判断して意を決し〉30日の午前4時頃に逃走したのである。

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 その足で彼女が向かったのは、北九州市門司区にある祖父母宅。そこには由紀夫さんの母とその再婚相手が住んでいた。

 祖父母に保護された清美さんは、国民健康保険への加入の手続きをしてもらい、飲食店でのアルバイトの採用面接を受けた。同時に、松永らから「今まで育ててやった費用を返せ」と言われていたことから、返済の意思を示せば解放されるだろうと考え、由紀夫さんの姉である伯母・橋田由美さん(仮名)に頼んで、伯母名義の預金通帳を作成して貰う。そしてその通帳と印鑑、渡されていた鍵と現金数千円、さらに「通帳におカネを入れます。こんなことしてごめんなさい」と書いたメモを添え、2月4日に松永らが住む東篠崎マンションの郵便受けに入れたのだった。