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スタジオのトイレに連れ込み「太ももに性器を……」

「前日から《明日 なめて欲しいなぁ》などとLINEで言われていて、『今日は何かされるな』って本当に憂鬱でした。その日、僕の撮影は早く終わったので、逃げるようにスタジオを出ようとしたのですが、出口で大澤さんに捕まりました。もう気持ちを切り替えるしかなかった。“アイドルスマイル”で対応していると、大澤さんはそのまま僕を建物内の洋式トイレへと連れ込んだのです。

目黒区内のスタジオ

 スタジオのトイレですよ! キスから始まり大澤さんの手が下の方に伸びてきて、股間を触られ、『大きくなってるね』と囁きながら穿いていた僕のガウチョパンツを脱がせてきて、大澤さんも黒のスウェットパンツを脱ぎました。僕は下半身裸の状態で、大澤さんはシャツにパンツ。キスをしながら大澤さんは僕の性器を太ももにこすりつけた後、かがんで性器を舐め始めました。とにかく、とにかくイヤだった。気持ちよくなんてなるはずがありません。それが伝わったのか、今度は唾液をつけた指を無理矢理お尻の穴に挿入してきた。最悪でした。

 でも、この日の撮影は、僕はソロでも撮らせてもらって、優遇もされていた。これも大澤さんに好かれているからだとわかっていました。気に入られるために必死で演技をし、喘ぐようにしました。5分くらいして、大澤さんがふと我に返って、『そろそろ行かないと』と行為を止めました。2人で急いで服を着てすぐにトイレを出た。トータルで20~30分くらいトイレにいたと思います」

 大澤氏がトイレでA氏に酷いセクハラ行為をしていた最中、スタジオでは大混乱が起きていた。

マネジャーとA氏のLINE。撮影時は大澤氏がメイクや衣装などを最終確認するため、大澤氏不在だと撮影が進まないという

「夢を叶えるためにはマクラも仕方ないと思った」

「大澤さんは携帯電話をスタジオに置いてトイレに籠もっていたわけです。しかし、スタッフからすれば、最終的にOKを出すプロデューサーの大澤さんがスタジオから消えて連絡もつかな句なってしまった状態です。他のメンバーの撮影は完全に止まってしまったようでした。僕のところにも何件も電話が来ていて、『一緒にいなかった?』とムチャクチャ勘繰られました。

 大澤さんは詫びることもなく、現場を取り繕ったそうです。僕には《バナナをスリスリ気持ちよかったね》《今日は後ろも触ってみた》って、またLINEが……。こういうことが全部イヤでした。それでも条件反射で自分の気持ちと反対のLINEを返している。そんな自分のこともイヤになりました」

 しかし、A氏はこの状況でも“媚び”に徹することをやめなかった。

「周囲からも大澤さんとの関係を不審がられ、精神的に病んでしまったこともありました。それでも僕には、憧れのアイドルに少しでも近づきたい気持ちや有名になりたい気持ちがあった。夢への一番の近道はとにかくプロデューサーに気に入られることだと思っていたんです。だから“マクラ(枕営業)”的な言動も仕方がないと思っていました」

A氏は「はたから見たら絶対マクラだって思いますよね……」と当時を振り返る
ヒートアップしていく大澤氏とA氏のLINE。DROPとは性行為に使うローションのこと

 

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