ソーシャルディスタンスで
新幹線の席は渡辺三冠の隣に指定されていた。新聞観戦記を担当する記者は、取材を兼ねて近くに座るのがタイトル戦での定跡手順なのである。
しかしこのご時世ではそうもいかない。二人で顔を見合わせて、
「まあ、一応ね」
「わざわざ密着することもないよね」
と席をひとつ離し、車掌さんに変更してもらった。思い当たる節はなくとも、無症状の陽性である可能性は誰にでもある。完全にリスクを排除することは難しくとも、簡単にできることは積極的に実行するべきだろう。タイトル戦は将棋界の幹であるし、開催のため尽力してくださっている方々が困るような事態は避けたい。関係者に感染者が出たときの対処は具体的には示されていないが、少なくともタイトル戦の対局者が感染してしまっては受けなしである。
東海道新幹線は品川を過ぎ、多摩川に差し掛かった。これを越えると神奈川県。そういえば東京都を出たのはいつ以来だろう。
すぐには思い出せないのでスマホのスケジュール表を見ながら振り返っていくと、2月末の静岡でのA級最終戦だった。あの頃から気を遣いながらの生活に入りつつあったけれど、その後を考えるとまだずいぶんと大らかだった。
車中での渡辺三冠との会話は、スマホのメッセージでやりとりした。内容は名人戦や盤上とはまったく関係ない世間話ばかり。なお渡辺三冠が直近で東京を出たのは、第69期王将戦の第7局(3月25~26日)。広瀬章人八段との佐渡対局だったという。
滞在中にあらゆる面での配慮を目にした
東京組は名古屋で近鉄特急に乗り換えて鳥羽へ。大阪からの豊島名人、立会人の福崎文吾九段らは、大阪上本町から同じく近鉄特急で鳥羽へ。東と西からほぼ同じ時刻に戸田家に到着し、玄関で顔を合わせた。
入り口ではホテルの係員がひとりずつ、簡易的な検温をしてから中に通している。あとで話を聞くと、「体温が高いお客様には個別にヒアリングさせていただくことになっております」とのこと。5月22日の営業再開からこの日まで、幸い該当するような客はいなかったそうだ。
名人戦の開催に際しても、2度の日程変更後に開幕局を担当した苦労は並ならぬものがあったと思う。滞在中にあらゆる面での配慮を目にしたが、それも氷山の一角に過ぎないのだろう。私ごときが言うことでもないかもしれないけれど、改めてお礼を申し上げたい。