鳥羽湾を臨む大きな窓に取り付けられた網戸
戸田家は今年で創業190年、天保元年の創業というから大変な老舗宿である。当初は伊勢市で割烹料亭、旅館を営み、戦後すぐに当地に鳥羽別館を開業した。将棋や囲碁のタイトル戦も数多く行われ、名人戦は今回で6回目となる。
対局室検分の際に話題になったのは、鳥羽湾を臨む大きな窓に取り付けられた網戸だった。感染対策により窓を開けて行われる本局、虫が苦手なことで有名な渡辺三冠を配慮して新たに設置されたのだという。もっとも豊島名人も虫が入ってきて嬉しいということはないだろうから、どっちがどうということでもないか。
次の間には将棋盤のフタ、駒や駒台を入れておく箱が置かれている。得も言われぬオーラを放っていると思ったら、面という面にところ狭しと古今の名棋士たちの揮毫がされている。写真でご覧になれば一目瞭然、今般の情勢にはそぐわない「密」だ。さすがの戸田家さんも、こればっかりは対処しようがない。もしかしたら夜な夜な冥界からやってきて酒を酌み交わしたり、戸田家の館内を歩き回ったり……って、まさかねぇ。
静かな鳥羽の夜
対局室検分のあとは簡単な合同インタビューが行われたのみで、すぐに関係者は三々五々散っていった。前夜祭はなし、明日と明後日の大盤解説会もなし。いつもなら対局者のいずれかと観戦記者、棋戦担当者が夕食を共にするのだが、今回はこれもなし。
私は毎日新聞側の観戦記者である椎名龍一さん、担当者の山村英樹さんと3人で近隣の調査に繰り出した。家族以外と外で食事するのは3ヶ月ぶりだ。「東京から来たと言ったら入れてもらえないかも」などと言いながら夜の鳥羽を歩くが、入れてもらえないどころか営業しているお店がなかなか見つからない。
ようやく発見した居酒屋は非常に感じがよく、料理もお酒もおいしかった。もちろん追い出されたりもしていない。勘定にいくらか上乗せされたとしても文句がないほど(もちろんそんなことはない)、よいお店だった。
久しぶりの酒席、よもやま話も楽しく長居したくなるが、そういうわけにはいかない。午後9時には店を出て宿に戻り、早々に床に就いた。第1局は振り駒だから、あれこれ戦型を考えても仕方ない。どんな将棋になるにせよ熱戦になるといいな。そんなことを考えていたら、いつの間にか寝てしまっていた。
夢の中にヒゲの先生がいらっしゃった気もするが、肝心の内容はよく覚えていない。
写真=後藤元気