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「時代劇の鞍馬天狗みたい」渡辺明三冠の顔面を覆う“黒い布”に控室は騒然となった

「新しいタイトル戦のかたち」をレポート(後編)

2020/06/18

 新型コロナウイルスの影響により、当初の予定から2ヶ月遅れて開幕した第78期名人戦七番勝負。挑戦者・渡辺明三冠の繰り出した秘密兵器、それを見た豊島将之名人の反応は……。

 開幕局が行われた三重県鳥羽市「戸田家」では、盤上盤外さまざまな場面、それぞれの立場での戦いがあった。

鳥羽対局、タイトル戦のこと

 対局の舞台となった戸田家・嬉春亭最上階の特別室は、皇族や各界の名士も宿泊した由緒ある部屋だという。数多くのタイトル戦が行われたことでも知られ、名人戦は今回で6回目、王将戦は8回の開催があった。窓の外に広がる鳥羽湾、今は鬼籍に入ったあの棋士やこの棋士も眺めたかと思うと、感慨深いものがある。

戸田家から望む鳥羽湾の絶景

 6月10日午前8時40分過ぎ、挑戦者の渡辺三冠が先に入室して下座についた。しばらくして豊島名人が現れ、床の間を背にする。感染防止のため窓を開けたまま行われた本局。波の音や鳥の鳴き声、船の無線やポンポンポンという稼働音も静けさを邪魔することなく溶け合っていく。あとで渡辺三冠は「対局環境はとてもよかった」と振り返っていた。

 開始を見届けた私は自室に戻り、写真データとして持ってきていた名人戦全集を読み直した。目についたのは昭和37年に行われた第21期の第3局、今回と同じく鳥羽で行われた大山康晴名人と二上達也八段の一戦。天狗太郎氏の観戦記の第1譜を少しだけ紹介させていただこう。

 

〈第三局は鳥羽に転戦した。大山は大阪から、二上は東京から旅立ち、途中で合流して対局地の鳥羽市小浜海岸にある待月楼別館“きはる”に向かった。

 鳥羽港からポンポン船で海を渡った。小浜海岸は陸つづきの半島であるが、陸路は車が通ぜぬので船を利用するよりなかった。あいにくと雨が降りしきり十五分の船旅は決して快適ではなかった。二上は少々船に酔ったようであったが、対局場に着くとすぐに元気を取戻した。

 翌朝は快晴。青い海にはいくつもの小島が浮び、さながら一幅の絵を見るようであった〉

 挑戦者の二上八段は羽生善治九段の師匠だ。二上先生は函館の網元(漁業経営者)の息子だったはずなのに、15分の船で具合が悪くなっているのがおかしい。

 この当時の大山名人はまだ振り飛車党になりきっていなかったようで、戦型は相ヤグラ模様とある。勝負は108手まで、後手番の大山名人が勝った。