「親はわかってくれない」。ありふれた臭い台詞ではあるけれど、当事者にしてみれば切実だ。僕の同級生、また僕自身も、程度の差こそあれ、そうした感情は心に燻っていて、中にはSNS上で吐露する知人もいる。きっと誰しもが一度は覚える普遍的な感情なのだろう。本書はそうした青年期特有の「さみしさ」を多角的に、そして寄り添うような言葉で考察する。
心身ともに成長し、自己の内面を見つめ始める青年期。今まで盲目的に縋ってきた親との間に、埋められない価値観の溝があることを知ってしまい、人は孤独を覚えざるを得なくなる。自分をわかってくれる親以外の存在として、何でも語り合える親友を求めるも、他人に内面をさらけ出すのは容易ではない。わかってくれないことも多い。かといって、自分一人で向き合うのは耐えがたい。仕方なく本当の自分を隠して、表面的に集団で群れてしまい、ますます精神の孤独は深まる。しかしこうした心の動きは、自立のために必要不可欠なものだと著者は言う。自らの内面と向き合う時間が、精神を成熟させるのだ。
このような「さみしさ」を覚えるとき、同時に、こんな気持ちになるのは自分だけなのかもしれないという不安にも陥りがちだ。その不安を拭い去り、視界が晴れたような思いにさせてくれるものは人それぞれで、僕の場合は小説とラジオだった。けれど、本書をもっと早くに読むことができていたらどんなに楽だったか。特に鬱屈していた中学時代をどんなに楽に過ごせたか。そう思ったほど、共感させられる文章に溢れている。
このコロナ禍で、特に学生は例外なく孤独を余儀なくされたことだろう。学校や部活に行けないのはもちろん、友達と遊ぶことさえできなくなり、家に籠らなければならなくなった。そうした物理的な孤独は、「さみしさ」と向き合う時間を生んでくれたのではないだろうか。今までは集団の中で気を紛らわせていたけれど、この期間はたった一人で自らの内面を見つめざるを得ない。何らかの答えが出たにしろ出なかったにしろ、精神の自立という面では、大きな意義のある期間だった。そうのちに振り返ることになるかもしれない。
案外「さみしさ」が和らいだという人も多いのではないだろうか。かくいう僕がそうだ。インスタの投稿などを目にする機会が減り、自分の生活を他人と比べずに済むようになった。いつの間にか固着しかけていた集団で生きていく上での仮面が外れ、息苦しさから解放された。あと、無駄なつながりに気を揉むこともなくなった。こんなこと書いたら友達が減ってしまいそうだけど。
勉強や人間関係、将来のこと。悩み事だらけなのに、一人で抱えるしかない青年期。最近は特に意識させられたことだろう。そうした「さみしさ」に、本書は必ず、そっと耳を傾けてくれる。
えのもとひろあき/1955年、東京都生まれ。MP人間科学研究所代表。心理学博士。東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。『〈自分らしさ〉って何だろう?』『〈ほんとうの自分〉のつくり方』など著書多数。
つぼたゆうや/2002年、東京都生まれ。作家。慶應義塾高校在学中。『探偵はぼっちじゃない』でボイルドエッグズ新人賞を受賞。