本書の著者である奥本氏は、フランス文学の研究者である一方、筋金入りの昆虫マニアとしてその筋の間では有名だ。かつては、「自然破壊の象徴」と揶揄されて一度は廃れた昆虫採集の普及を目指す団体・日本昆虫協会の会長をなされており、私も一時期同会に所属していた。ゆえに、直接お会いしたことがないにも関わらず、著者には妙な親近感を持つ。そんな著者が先頃上梓した本書は、著者の幼少期における決して豊かとはいえない暮らしぶりと、のちの過酷な闘病の日々について多くのページが割かれており、その話に随所で彩を添える「舞台装置」として、ちょこちょこ虫の話が登場する。いわば、虫をはじめとして幼き日に読んだ本、見た景色の美しさ、ひたむきに生きる人々の姿を回顧する自伝である。
著者の幼少期は、常に死の危険が付きまとっていた。その最たるものが結核性関節炎による入院だったが、それ以外にもちょくちょく死にかけている。家でふざけて走り回るうちに、風呂場でつんのめって浴槽にドボンし、逆さで回転しているのが兄に発見されたというくだりには、思わず吹き出してしまった。私はある程度モノが豊かな時代に生まれたので計り知れないが、当時はそんな話をもコミカルに語れてしまうほど、死が人々の身近にあったのだろう。
昆虫学者の私としては、もう少し虫採りのエピソードを内容に盛り込んで欲しかったところだが、ギンヤンマを捕らえようと奮闘する章は、自身にもかつて似たような経験があるため食い入るように読んでしまった。俊敏で用心深いこの獲物を捕らえるべく、カマボコ板やら竹の棒やらといった身の回りで手に入るマテリアルを駆使して専用の網を自作してしまう。友人にからかわれつつ、一度に雌雄ペアのギンヤンマを網の中に収めることに成功した。だが、さっさと標本にでもすればいいものを、飛んでいる様子を家で見たいと思い、窓がちょっと開いているのにも気づかず部屋で放してしまい、瞬(またた)く間に外へ逃げられるのだった。子供は、目の前に小動物がいればとにかく捕まえ、家に連れ込まないと気が済まない生き物なのだなと、自分の幼少期を重ねつつ読んだ。
本書の後半部分は、怒濤のように古い漫画や映画の話が連なる。長きにわたる入院生活の中、全く外遊びができなかった幼き著者にとって、特に看護婦の「島田の姉ちゃん」が読み聞かせてくれる本や雑誌は、許された貴重な娯楽だった。
小学生の頃の思い出の割に、その内容の詳細を克明に書き記せるのは、それだけ著者が骨身に染み入るほど堪能し、記憶しているからであろう。それほどの病魔に苦しめられた著者は、健常者の病人に対する憐れみの言葉が白々しく思えてならず、ゆえに自身が病床の知人にかけるべき言葉を選べず苦悩する描写が印象的だった。
おくもとだいさぶろう/1944年、大阪府生まれ。フランス文学者。NPO日本アンリ・ファーブル会理事長。埼玉大学名誉教授。『完訳 ファーブル昆虫記』で菊池寛賞受賞。主著に『虫の宇宙誌』(読売文学賞)、『楽しき熱帯』(サントリー学芸賞)など。
こまつたかし/1982年生まれ。昆虫学者。国立科学博物館協力研究員。近著に『裏山の奇人』『昆虫学者はやめられない』など。