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愚連隊の“伝説”

 加納貢を往年の暴力スターとして認知させるため、さらなるエピソードを掘り返した。幸いまだ加納の全盛時を知る生き残りが多くいて、それなりに使えそうな証言が手に入った。飛んでいるツバメに向かって石を投げ見事に命中させたとか、振り下ろされた日本刀を素手で受け止めたとか、確証の持てないものであっても、暴力神話の構築には持ってこいだった。伝説はでっち上げるものである。しっかりとした基礎さえあれば、どれだけ話を盛っても格好が付く。

 私が在籍した『実話時代BULL』のような雑誌にとって、加納が秀逸の題材であると確信したのは、あちこち聞き込みをして、若い頃、めっぽう喧嘩が強かったと確証を持てたからだった。これは暴力ファンタジーを作る上で絶対に欠かせない条件である。武器を使わず、素手で殴り合う喧嘩を不良たちの符丁でスデゴロというが、この場合、誰も加納に勝てなかった。渋谷で酔っぱらったボクシングの世界チャンピオンと殴り合いとなり、それを伸してしまったこともあった。

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 喧嘩の強さを証明する機会には困らなかった。刃傷沙汰は毎日のようにあって、新宿に暴力がはびこっていた。焼け野原となり、瓦礫と化した新宿の街には、「光は新宿より」というスローガンで有名な関東尾津組の新宿マーケットをはじめ、たくさんの闇市が誕生した。それを牛耳っていたテキ屋組織にとってはまさに我が世の春で、誰もが彼らの組織暴力に屈服した。当時、力のあった暴力団は、そのほとんどがテキ屋――露天商である。闇成金が生まれ、彼らを相手にした賭博場が復興するまで、東京では暴力団=テキ屋、もしくは加納たちのような愚連隊を意味している。

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「象さんパンチ」で天下無敵

 当時20歳そこそこの加納たち不良少年はグループを作って、テキ屋たちを相手に暴れ回った。精神構造は後世の暴走族に近い。お遊びである。本職にしてみれば相手にするのも馬鹿らしかったろう。しかし、手のつけられないガキどもは、何度注意しても知らんぷりで、調子に乗ってあちこちで喧嘩をふっかけてくる。ヤクザには暴力を換金するという仕事があっても、愚連隊にはそれがない。最後には本職が折れた。

「新宿の帝王」と呼ばれた加納貢

 加納貢はどの闇市でもフリーパスだった。暴力で対峙すれば、天下無敵だったからだ。加納の必殺技である「象さんパンチ」というコミカルな名前は、パンチの重さに由来している。それを食らえば、象に踏みつぶされたようにペシャンコとなり、地べたにはいつくばってしまうからだ。こうした牧歌的ネーミングセンスが、当時の空気を象徴していた。暴力の時代であってもどこかカラッとしており、エピソードには一種のスポ根マンガのような雰囲気がある。