麻薬・覚せい剤にしてもそうである。私は暴力団との距離が近い分、一般人に比べ、その気になれば入手も容易だろう。編集部員だったころ、あからさまに薬物に好奇心を示すライターは絶対に使わなかった。目の届かないところで連絡を取り合い、取引されては困るからだ。
自由奔放だった愚連隊の人々
愚連隊物語はそうした疑念・心配を一切持たずに取材が出来た。人畜無害、虚構を楽しむにはもってこいの素材である。
物語作りにうってつけだったのは、当時の愚連隊が自由奔放だったからである。それは大人社会に反抗する青少年の理想主義にそのまま変換できる。それにスターたちはみなキャラクターが際立っていた。個性豊かで、感情はむき出しで、なにより組織に縛られない。暴力を換金して生きてきたのは暴力団と同じだが、そのやり方は原始的、かつ浪花節的、そして場当たり的なので小狡い印象を受けない。
愚連隊を使って暴力ファンタジーを作ろう。私は早速、愚連隊の生き残りたちに接触した。
窓口になったのは、後年、ヤクザマンションに住み着くことになった加納貢である。
「こんにちは」
「おう」
最初に会ったとき、加納はほとんど喋らなかった。なにを訊いても、「あんなもん作り事だよ」「そんなにかっこいい話じゃないよ」と、会話がぶつ切りになる。もう70歳近くというのに、体がとてもがっしりしていて、拳がやたらでかく、傷だらけだった。薄くなった髪をオールバックに流し、顔中に髭を生やした加納は、一見して、ただのジジィではなかった。そのときは1時間ほど寿司を食って、あっけなく別れた。加納は酒を飲まない。食事はごく短時間で終わる。
寿司屋の代金は、当然、こちらが払った。
なにしろ加納は完全無欠の無職なのだ。
埋もれた伝説を発掘
罪悪感もないうえに、話が面白い。何回か加納に会ううちに、『実話時代BULL』のウリを、愚連隊にしようと目論んだ。本職のヤクザがずらりと並ぶ『実話時代』と差別化を図る上でも、それは妙案だった。手当たり次第に取材を行い、毎日、愚連隊神話の発掘に没頭した。
私が編集部に入社したとき、加納はすでに裏社会の埋もれた伝説として発掘されていた。加納にその価値は十分あった。とはいってもまだ知名度は低い。兄弟分の安藤昇は引退後、銀幕のスターとして華々しくデビューし、一世を風靡している。団塊の世代より上なら、安藤の名前を知らない人はいないだろう。それに比べれば加納はただの一般人だ。よほどのヤクザオタクでなければ、兄弟分の存在など気にとめない。