ただ現実には、そう悠長なことも言っていられなかったろう。暴力団に売り上げをガジられ、ゴロツキに悩んだ新宿の商店主たちは、加納を徹底的に持ち上げ利用した。頼りにならない警察とは違い、どんな相手であっても臆せず、自警団の先頭に立ってくれたのだから、便利な存在になっていった。
自警団として活躍した愚連隊
商店主たちは加納を守護神とあがめ、「神様、仏様、加納様」と、あちこちで褒め称えた。戦後の一時期、新宿で加納の人気は絶大だった。生前、加納の誕生会に出席した京王プラザホテル関係者や、武蔵野館(映画館)の総支配人たちは何度も加納の喧嘩を目撃し、その拳に助けられたと証言している。通常なら誰かに用心棒を頼むと金をせびられるが、加納の要求はただ食いと映画の無料鑑賞だけだったから、費用対効果は絶大だった。
「みっちゃんが現れると、サーッと人混みが割れる。そうして相手はあっという間にKOなんだよ」(新宿の喫茶店経営者・故人)
という証言は、誇張はあってもあながち嘘ではない。
ヤクザたちが一目置いていたのも事実らしかった。単に腕っ節が強いだけではなく、頭も切れたのだ。複数の相手と喧嘩をするときは、背後を壁にして、確実に相手のリーダー格を狙った。荒唐無稽にみえるファンタジーは、細部をみると心理学的に辻褄の合う戦法になっていて、殺気だった場面を飲み込んでしまうツボも心得ていた。
「うちの縄張りで好き勝手なことしやがって!」
「そんなもん、地図には載ってねぇだろう!」
掛け合いでは、答えにつまった側が負けだ。ここでの劣勢は、喧嘩になってからの流れを大きく左右する。ナイフや拳銃を使わなかったのは、喧嘩をスポーツの範疇にとどめておきたかった加納の作戦だった。素手の相手に武器は使えない……ヤクザの側にもまだロマンと潔さが残っていた。
暴力団にも一目置かれる存在
実際、晩年になっても、新宿の暴力団たちは加納に敬意を払っていた。自由気ままに新宿を徘徊する薄汚いジジィに、ぱりっとしたスーツを着込んだ強面たちが最敬礼する様子はコミカルだった。
ただし、暴力団がその気になれば、加納を殺すことはできただろう。大勢で闇討ちし、拳銃を使って撃ち殺してしまえばいいだけの話である。暴力団が本気にならなかったのは、加納がうなるほど金を持っており、彼らの米櫃に手を出さなかったからだ。