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ときには競輪代を渡すことも

 加納の生活費を出していたのは、元舎弟だった広域組織幹部である。ただ、それだけでは足りない。最低限の金はあっても、裕福ではなかった。具体的には趣味の競輪代が捻出できなかった。私はそれを補填した。

 その反対に時間はたっぷりあった。加納のお守もりは周囲の頭痛の種である。私は周囲の人間が加納を持てあましはじめたころ、ちょうどいいタイミングで現れた生け贄だった。

「いま新宿にいるんだけどよぅ~」

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 と電話がかかってくると、急ぎ車を飛ばして指定された店に向かう。その勘定を払い、1万円の小遣いを渡し、夜中まで暇つぶしに付き合って家まで送る。話し相手として、経済的な支援者として、私は加納を支えた。それはもちろん雑誌の記事に反映された。好き勝手に使える“加納貢”という過去のヒーローは使い出があった。

当時の名刺(住所、電話番号を加工済み)

加納貢神話の虚実

 加納という偶像を作る上でことさら意識していたのが、「自由」という愚連隊のキーワードだった。本来は幼稚なヤクザごっこに過ぎなかった彼らの猥雑で、混沌とした足跡を、「自由」という虚構を使って神話とする。かつて暴力によって新宿を席巻しながら、組織を作らず、なにからも縛られないリベラリスト。そのイメージを増幅しなくてはならない。本来は存在しない思想を作り出すため、狙いに沿ったエピソードを見つけ、それをふくらませていった。

 金持ちのボンボンだった加納は金に頓着せず、変な見栄も張らなかったので、あとは解釈を付け足すだけで済んだ。たとえば、加納は新宿駅の露店で買った1000円のバッグを愛用していた。

「ブランド物なんて馬鹿らしい。これで十分だ」

 と、安値で買ったことを自慢する。こうした言葉に「階級社会への反発」という屁理屈を後付けするのは容易い作業だ。

©iStock.com

 戦中派らしいもったいない精神は、私によっていちいちファンタジーへと昇華させられた。加納は靴のかかとの部分にいつもたくさんのゴムバンドを入れており、「こうしておくといいクッションになってよ。長時間歩いても疲れないんだ」と、周囲に自慢していたが これも物質文明、消費社会に対する警鐘と置き換えると、貧乏くささが一蹴され、思想めいたものになる。これを何度も繰り返し、加納貢という虚像を作り出すのだ。