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 ただやり過ぎだったろう、と反省するところも多い。たとえば『風、紅蓮に燃ゆ――帝王・加納貢伝』(大貫説夫著)という本は、私とライターが作りあげた自由のイメージを、加筆して書かれた本である。あまりにそのイメージが強烈だったのだろう。加納は書き手の想像力を存分にかき立てた。虚像を作るための創作記事が、後日、勝手に増幅され、とんでも本になるとは思ってもいなかった。なにしろ著者は私の引率で2、3回しか加納と話していない。加納がどんな人間だったのか、わかるはずもない。

晩年の加納貢(前列中央)後列右から2人目、キャップをかぶっているのが筆者

暴力団へのアンチテーゼとしてのキャラクター

 暴力団たちは、自由奔放にみえてガチガチの組織人である。そのアンチテーゼとして、加納の作られた伝説が存在した。加えてなにを書いても当人から文句を言われない。これほど都合のいい存在はなかった。演出はいつしか一人歩きし、創作は完全なるファンタジーとなった。

 理想のアウトローとして定着すると、その偶像が加納の生活を成り立たせるようになった。こうなるとどこまでも加納の連載をやめられなかった。ストップした途端、加納は時間をもてあまし、経済的に困窮する。どんなことがあっても、加納の連載だけは続ける必要があった。手を替え、品を替え、連載は続けられた。

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 加納のおしゃべりをそのまま連載にしようと目論んだこともある。それができれば一番てっとり早い。しかし、話がどこまでも当たり前すぎて、その企画は中止した。加納の考えは典型的な戦中派のそれである。戦前教育そのもので、礼儀正しく、道徳的なことしか言わない。反米、反権力であっても、そこに目新しい視点はなかった。ありきたり、かつ、つまらない。加納とこういった話をしていると、本当にあくびが止まらない。そのうえ、戦中派らしい外国人蔑視をする。中国人、韓国・朝鮮人に対してはあからさまな偏見を持っている。

生活のために自らの虚像を許容した

 フリーになってから、加納のことを書くときは、『実話時代』であっても、他誌であっても、すべてこちらで勝手に創作した。自分の名前を使う記事に関して、最初は印刷前に原稿のチェックを求めていた加納も、半年もしないうちになにも言わなくなった。

 加納の名前を使って稼いだ原稿料は、すべて加納に渡していた。そのあたりの現実は、加納にもはっきりみえていたのだろう。

潜入ルポ ヤクザの修羅場 (文春新書)

鈴木 智彦

文藝春秋

2011年2月17日 発売