石原慎太郎元知事でさえ送っていた追悼文
ジャーナリスト安田浩一氏は昨年出版した『愛国という名の亡国』(河出新書)でこの問題について、
《虐殺の犠牲者は「震災の被害者」ではない。震災を生き延びたにもかかわらず、人の手によって殺められた人々だ。まるで事情が違う。》
とし、
「人災を天災のなかに閉じ込めようとしている」
「天災死と同じように扱うことで、結局、虐殺の事実を見えないようにしている」
との識者の言葉も紹介している。
あの石原慎太郎元知事でさえ送っていた追悼文を取りやめた小池氏。その対応と歴史観は今回の選挙で論点になるのは当然だろう。先週末にネット配信された都知事選候補討論会では津田大介氏が小池氏に問うていたがのらりくらりかわすだけだった。
さらに私が気になるのは追悼文を送るのをやめたきっかけである。当時の記事に注目。
《小池氏は3月、都議会で自民党都議が虐殺の犠牲者数について、主催団体が案内文でも触れている「6千余名」とする説を根拠が希薄などとして問題視し、追悼文送付を見直す必要性を指摘したのに対し、「毎年慣例的に送付してきた。今後については私自身がよく目を通した上で適切に判断する」と答弁して見直しを示唆した。》(朝日新聞デジタル2017年8月24日)
つまり、自民党都議の質問がきっかけだった可能性が高い。
小池知事は4年前にド派手に都議会自民党にケンカを売って当選したが、都知事になったらやっぱり自民に恩を売っておきたい、距離を詰めておきたいという思惑はなかったか? 自身の政治的都合で追悼文を取りやめた可能性はないのか?
実は小池氏の「説明」に同じような思いを抱いたのは直近にもある。大量の防護服を中国に寄付した件だ。