7月2日(木)、緊急事態宣言解除以降、初めて東京都の新規感染者が100人を超え、コロナ第2波が本格的に懸念されている。
この第2波に関して、感染者のボリュームゾーンが20代の若者であることから、「これだから今時の若いやつらは自己中心的でけしからん!」と憤る声もインターネット上では聞こえてくる。だが、「安易に若者を悪者にする論調には危機感を覚えたほうが良い」と語るのは『屁理屈に負けない!――悪意ある言葉から身を守る方法』などの著書がある慶應丸の内シティキャンパスの桑畑幸博氏。
桑畑氏が指摘するメディアやSNSにおける若者論、若者批判の嘘とは?
情報化社会の落とし穴=「軽率な一般化」
コロナ第2波における若者批判が危険な理由についてお話しする前に、予備知識として、先日開幕したプロ野球を例に、論理学における屁理屈や詭弁の構造について簡単なご説明をします。
どんな分野にも「自称評論家」はいます。プロ野球は、その最たるもの。自称評論家同士の論戦もプロ野球の醍醐味のひとつで、インターネットではしばしばこんな意見を目にします。
「あそこでAを代打に出すのは明らかに采配ミス。単に監督が好きな選手だから出してるだけで、結局三振して流れを止めた」
さて、この「采配ミス」という結論は正しいのでしょうか?
もちろん結果(三振)だけ見れば、この結論は正しいようにも思えます。しかし、それは結果論であって、監督がその場面でA選手を代打に出した意図やロジックがなかったかと考えると、「采配ミス」という結論はやはり早計と言わざるを得ません。
ではなぜ、自称評論家氏はそのような推論を述べるに至ったのか? そこには当然、「代打成功率が低い」、「前回の打席で三振していた」などの彼なりの根拠となる「過去の複数の情報」があったと考えられます。
「信号が赤だから止まろう」など、情報をルールに照らし合わせて答えを導き出す考え方を「演繹法」と呼ぶのに対し、上記のように複数の情報をもとに「これらのことから○○と言えるのではないか?」と推論を導き出す考え方を「帰納法」と呼びます。
考慮すべき情報はそろっているのか
この帰納法によって、前回の打席内容などから「……ということは」と考えて「采配ミス」という答えを導き出すことは、たしかに一理あります。しかしこの意見には、こんなコメントがつくこともあります。
「前々回の代打では、起死回生のツーラン打ったじゃん。忘れたの?」
「まだゲーム序盤ということを考えれば、ここは切り札のBじゃなくてAでしょ」
このふたつのコメントに共通している点がおわかりになりますか? それは、どちらも「考慮すべき情報が欠けているよ」と指摘している点です。