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「潮見」という名前がつくまでの“知られざる歴史”とは?

 もともと潮見の埋立完成までは廃棄物の最終処分場として使われていた。そうした時代の1960年、「蟻の街」と呼ばれる労働者の集団が移転してきている。終戦直後に隅田川の言問橋たもとで身寄りのない人が集まって、廃品回収で生計を立てて「蟻の街」と呼ばれていた。東京都は彼らに対して立ち退きを求め、代替地として提示したのが8号埋立地。当初、「蟻の街」は移転を拒否していたようだが、1958年に移転が決定、1960年には実際に移転してきている(この時点ではまだ潮見という名は与えられていなかった)。この「蟻の街」は、今ではカトリック潮見教会として潮見の地に残っている。

 駅前の印刷工場

 こうした戦後日本のエピソードを持つ、潮見駅。造船所や印刷工場などが集まっているのも、このような歴史的な経緯に関係しているのだろう。ただ、現在の駅前にマルエツがあったり、立派なマンションがあったりするあたり、往年の潮見の面影は少しずつ消えているようだ。駅の東側にはアパホテルなどのホテルが次々に生まれている。目下建設中のホテルもある。京葉線の駅前で、東京駅やディズニーランド、幕張メッセまでは電車で1本。タクシーに乗れば豊洲や辰巳、お台場なども目と鼻の先。このホテルたち、東京オリンピックを当て込んで建設されたのかなあ……などと思うとそれもまたちょっと切なくなるのである。

潮見駅東側のアパホテル(右奥)
ほぼ完成しているようにみえるホテルもあった

京葉線で2番目に利用者数が少ない「越中島」

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 次いで訪れたのは、ひとつ東京駅方面に戻って越中島駅だ。