新宿歌舞伎町の通称“ヤクザマンション”に事務所を構え、長年ヤクザと向き合ってきたからこそ書ける「暴力団の実像」とは―― 著作「潜入ルポ ヤクザの修羅場」(文春新書)から一部を抜粋する。
筆者が、かつてヤクザからも一目置かれていた伝説のアウトロー・加納貢との付き合いを述懐する。
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詐欺師のカモ
加納の懇親会には、年に3、4度、新しいメンバーが加わった。その大半は詐欺師だった。名声の残りカスを利用しようというわけだ。最後に出会った詐欺師は山梨の人間で「とある資産家が加納さんの映画を作りたいと言ってる。3億円ほど出資したい」という口上で加納に近づいてきた。
どこからどうみても噓としか言いようがない相手を、加納はすっかり信じていた。
「出資者を説得するため映画監督が必要だ。それなりの監督じゃないとかっこがつかない。いろいろ当たって決めてくれ。そのあとパンフレットの見本を作ってくれ」
どうせ100パーセント作り話である。ネットで適当な映画監督を見つけ、その名前を勝手に使ってパソコンで宣材らしいものを作った。インクジェットのプリンターで出力し、それを手渡した。
「お前には世話になったから、3億入ったら新しい車を買ってやる」
もちろん、私はその後もボロボロの中古車に乗り続けた。
よくよく調べてみると、裏社会と決別してからの加納は、ひたすら詐欺師のカモとなっていた。莫大な資産のほとんどはうまい話に乗せられ奪われた。ジャマイカからコーヒー豆を輸入しようとしたり、台湾に出かけて貿易商のまねごとをしたり、その背後には必ず、加納の資産を狙った詐欺師がいる。どこまでもお坊ちゃんなのだ。
部屋から見つかる数々の不良債権
死のおよそ2年前、新宿中央公園近くのマンションから引っ越したとき、私は荷物の整理を行った。押し入れには喫茶店のコーヒーに付いてきただろうスティックシュガーとミルクが大量に保管されていて、金目のものは一つもなかった。その際、数々の借用証がみつかり、2人で面白半分に合計すると、2460万円分あった。もちろん、仏の加納に金を返す人間などおらず、すべてが不良債権である。
「せめてこの金があれば、楽だったですね……」
加納のため、毎月かなりの金を使っていた私は、ぐちゃぐちゃの部屋の中で落胆した。行き掛かり上、この老人の面倒を見るハメになった自分の運命を呪った。
書類を整理していると、実弟からの手紙を見つけた。