ビジネスホテルの浴槽で……
死の1ヶ月前、さすがに私の手には負えないと思い、加納の面倒を見続けてきた元の舎弟だった暴力団組長と、歌舞伎町の喫茶店アマンドで相談した。
「もう駄目だと思います」
「そうかね。そうかな。そうだろうなぁ……」
惚けた祖父の処遇を父に相談するような気持ちだった。
駄目というのは、加納を隔離しようという意味である。具体的にいうなら病院、または医療施設が完備した老人ホームなどに加納を収容し、まずは落ち着いた生活をさせる。なにしろ加納は自分の家さえない。雨露をしのぎ、ゆっくりと休息できる場所がないというのは想像以上の苦痛だろう。自ら望んで漂泊の人生を歩んできた加納とはいえ、ここまで精神的な衰えがきている以上、自分だって辛いはずだ。まずはそこから加納の生活を改善しようというわけである。
相談が終わった頃、アマンドに加納がやってきた。わずか数週間程度しか経っていないのに、加納はびっくりするほど痩せていた。それでも一応はジャケットをきて、ポケットにはチーフがあった。日本茶とシュークリームを頼み、それにはまったく手をつけない。ぎらりと光る目だけが異様な輝きを発している。
このとき加納はとてもまともだった。惚けた様子はみられず、いままで私が作りあげた虚像が邪魔だとも言った。
「あんなに祭り上げられたら立ち小便もできやしない。俺を使ってどんどん稼いでくれていいぜ。お前も、みんなもよう。でもやり過ぎじゃないか?」
加納との関わりは、収支だけみれば完全なマイナスである。いままでどれだけ貢いでいたと思っているのだ。しかし、加納は自分の虚像が金になることは理解していた。俺は自分の力で稼いでいる。お前らもその恩恵にあずかっている。感謝しろ。そう言いたかったのかもしれない。
とりあえず分かりましたと頷き、今度はこちらの話を切り出した。金は何とかするから病院に入って欲しい。結論だけ短く伝えた。
加納はよろよろしながら立ち上がると、「嫌だね」と吐き捨てた。
「鈴木よう……」
「なんですか?」
「そんなにいまの俺は醜いか?」
「……はい。他人に見せたくありません」
それからしばらく、加納は昔なじみの住んでいる府中近辺の団地に潜り込んだらしかった。おそらく数日やっかいになるとの約束で入り込み、そのまま住み着いたのだろう。3週間ほどで加納はその団地を追われた。最後の1週間はヤクザマンションに再び泊まってもらった。出張から帰ってきたら病院に入ってください、と念押しした。
翌日、加納は新宿・歌舞伎町のビジネスホテルの浴槽で溺死した。加納を殺したのは私だろう、という自責の念はいまも拭えない。歳をとるごとに、加納がなぜ私にまとわりついたのか分かってきた。金や暇つぶしが目的だったわけではない。社会と繫がりのない人生が寂しかったのだ。