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堕ちたヒーロー

 ヤクザマンションに住み着いてからの加納は一気に老け込み、そればかりか奇妙な言動を繰り返していた。比較的距離のある他人に対してはまともだが、近親者には警戒心が解け、明け透けのため、ともすれば正気を失ったとしか思えないことをする。路上生活者とは違うとはいえ、現実的にはホームレスと変わりなく、2ちゃんねるにはその手の誹謗中傷が溢れていた。堕ちたヒーロー。愚連隊の末路や哀れ。私は加納を一切誌面に登場させないようにした。

 待ってましたとばかり、他の雑誌が加納を囲い込んだ。作りあげてきたイメージが、加納を放っておかなかった。加納の言葉をそのまま書いたどうしようもない駄文が、毎月雑誌に掲載された。内容はともかく、それが加納の言葉でさえあればよかったのだろう。

〈せっかく惚ぼけたことを隠そうとしているのに、余計なことをしやがって……〉

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 私は身勝手な理屈で憤慨した。加納に金は与えてくれたようで、その点は助かった。

 暴力団取材が忙しかったこともあり、私は加納の世話をせずにすむと思って放置した。しかし、新しい雑誌の編集者もライターも、月に数回、何時間か惚けた加納の世間話に付き合うだけで、生活の面倒は見てくれない。毎日のように加納から電話がかかってきた。大変な手間がかかるのは、まったく同じだった。

©iStock.com

 いつだったか大阪に出張中なのに「大変だ! すぐ来てくれ」と言われ、急ぎ東京に戻ったら、私を呼び出したことをすっかり忘れていた。

「勘弁してください……」

「ちょうどテレビの日だろ」

「『渡鬼』なら毎週録画してますから」

「腹減ったなぁ、三平食堂でも行くか」

電波な幻想に振り回されるように

 三平食堂とは、古くから新宿で営業をしている定食屋で、戦後、外食券制度が導入されていた頃から、加納の行きつけだったらしい。いまさら大阪に戻っても仕方ないので、三平食堂でサンマ定食を食べた。加納の食欲は旺盛だった。毎日あちこち歩いているので、足腰が達者なのが救いだった。

「公安につけられている」という電波なセリフは毎度のことだった。それは加納が新しくはじめた雑誌連載で、小泉政権批判をしていたことが妄想の根底にあったらしい。実際、加納は若い頃、公安のマークを受けた事があり、単なる電波ちゃんとは違うのだが、幻想にリアリティがあるぶん振り回された。初台で中華料理を食べたときは、店の前で電気工事をしている作業員に向かって「お前ら公安だろ! いい加減にしろ」と怒鳴りだして焦った。