鈴木知事の存在感を際立たせたのは2月末、政府に先んじて発した独自の「緊急事態宣言」だろう。その歯切れの良さに注目が集まる一方、地元道議会からはその後、「独断だったのではないか」との批判も上がる。今回のインタビューでは、その内幕も初めて明かした。
専門家会議から届いた助言
第1波の初期、新規感染者が急増すると、鈴木知事は厚生労働省の加藤勝信大臣に直接電話をかけ、「感染症対策の専門家を送ってほしい」と依頼。厚労省にクラスター対策班が設置された2月25日当日には、国立感染症研究所の職員ら3人が派遣されたという。
「それから3日後の28日の午前中、政府の専門家会議のメンバーから助言が届いた、と報告がありました。実は、厚労省でクラスター対策班を統括しておられた押谷仁東北大学大学院教授や西浦博北海道大学大学院教授からのご教示だったことは後で知るのです」
札幌以外の遠隔地に患者が多いこと、若年層の症状の軽い人が感染を地方に運んでいる可能性があるという分析を基礎に、次のように示唆があったと明かした。
〈この1~2週間で人の接触を可能な限り控えるなど積極的な対応を行えば急速に収束させることができるが、対策を取らなければ道全体で急速に感染が拡大しかねない〉
独自の「緊急事態宣言」をどう伝えるか?
爆発的な感染拡大が起きる兆しがあるため〈接触を減らせ〉という示唆だが、具体策が献じられていたわけではなかったと、鈴木氏はこう続けた。
「ではどうしたらよいのか、具体策を示していただいたわけではありません。対策を決め、どう道民に伝えるかは、私に委ねられていました。対策本部での決定を経たその日の午後6時過ぎ、私は臨時会見を開き、独自の『緊急事態宣言』を出すことにしたのです」
鈴木氏は「『伝える力』が命」と語る。
接触削減という、当時の国民には耳慣れないフレーズを道民の実践に結び付けるため、「現在の北海道が危機的な状況にあること」「外出を控えてほしい」という2つにメッセージを絞って語りかけた。そして、サラリーマンが休む土日に限って外出自粛を求めることに決めたという。