「ウケたいというのが強い」SNS的な言動の背景
―――90年代後半にベストセラーとなった『国民の歴史』の西尾幹二や『戦争論』の小林よしのりと比較すると?
石戸 『国民の歴史』に西尾幹二が込めたエネルギーにはすごいものがある。彼は言論人であり、その自覚がある。リベラルな人たちは、西尾さんや小林さんと百田さんは似たようなものだと思っているかもしれないが、全然違います。
西尾さんや小林さんには情念がある、百田さんはウケたいというのが強い。どういうことかと言うと、西尾さんや小林さんはものすごく思いを込めたうえで発言する。自分の行動を説明し、言論と行動を一致させようとします。
それに対して百田さんは言ってしまえばSNS的です。昨日は昨日、今日は今日、今この瞬間感動したというのにすごく正直で、それをツイートできる。コロナ対策で安倍首相を批判していたと思ったら、別の日には「やっぱり頑張っている」と言って肯定できるのです。前は前、今は今でその都度思ったことを正直にツイートしているだけなんです。
百田さんの場合、決定的に大きかったのが放送作家だったことだと思っています。放送作家時代は日々、テレビの視聴率と真剣に向き合っているわけです。なにをやれば数字が取れて、なにをやれば数字が落ちるのかを肌感覚で知っている。そこまでできる放送作家はなかなかいません。関西のテレビ界でも屈指の実力者だったことは取材していてよくわかりました。
そうしたテレビの視聴率との向き合い方と、作家としての読者との向き合い方は同じなんですね。百田さんは「チャンネルを変えられないように小説を書かないといけない」とずっと言っているわけですから。
「わかりやすくて面白いもの」のニーズに応えているか?
―――石戸さんはストーリーテリングと読みやすさで読者をつかんでいると百田氏を評しています。それでいうと本書には、西尾氏や小林氏とともに「つくる会」運動をした藤岡信勝の『教科書が教えない歴史』も、藤岡氏は「小学六年生でも読める平易な語彙と語り口」を大事にしたとあります。
石戸 平易な言葉で書かれていて、わかりやすくて面白いものを読みたいという世の中のニーズがあります。特に日本の歴史という分野ではそのニーズはいつの時代もあった。まず、この現実に向き合っていかないといけないですよね。
『日本国紀』を出版する幻冬舎社長の見城徹さんが言うことは、かなり正論だと思いますよ。「『日本国紀』を批判したいのなら、リベラルも売れる歴史ものを書けばいいじゃないか」って。それはそのとおりなんです。
リベラルは右派的な歴史観の本が売れているのは問題だと言います。ここで僕が問いたいのは、右派的なものでなければ歴史本は売れないのか、ということです。僕はそんなことないと思っています。つまり、代替可能なんじゃないかということです。
世の中では、読みやすくて面白い語り口のものが求められている。右派的なもののマーケットばかりが広がるっていうのは、右派的な人たちがそうしたニーズに応えているからです。それならリベラルもそのニーズに向き合っていかないといけないですよね。