磯田 たしかに。「マスクをしないで最後まで頑張ろうと思っている」と語った元総理もいて「竹やり」精神論だと批判を浴びました。
スー 磯田さんのご著書『天災から日本史を読みなおす―先人に学ぶ防災』(中公新書)に「ペナルティーを科す西洋文化」と「要請と自粛の日本文化」という対比がありますが、日本は歴史的にずっとそうなのでしょうか。
磯田 江戸幕府の権力が確立してからです。関ヶ原の戦いの1600年から100年間は、一都市で一年に数件、処刑をしている。見せしめです。言うことを聞かなかったら殺されるという血みどろの時代を経て、お上の言うことをよく聞く国民性にしつけられた。
ジェーン・スー「片手に壊れたマスクを持ちながら自転車を漕いだ」
スー 国民の相互監視でまかなってきた部分も大きいんでしょうね。実はこの前、都会のど真ん中で突然、マスクの紐が切れたんですよ。
磯田 僕も切れちゃって、一生懸命結んだことがあります。
スー そこで私が何をしたかというと、片手に壊れたマスクを持ちながら自転車を漕いだ。見ず知らずの人たちに「あるけれども駄目だったんだ」と知ってもらうためです。非国民ではないとアピールするようなことを、自分もやるんだなと苦笑しましたけど。
磯田 100年前、スペイン風邪流行時のロサンゼルス市条例は、私たちからは考えられない内容です。罹患者は家の戸口に青色カードを掲示。肺炎になると白色カードにする。つまり「この家には患者がいる」と示すわけです。牛乳箱の置き場所まで指定し、規則を守らなければ、ロス市警が巡回して罰するとも書いてあります。
中野 恐ろしい……。
磯田 実はこの条例、日本の内務省衛生局も入手しているんです。当時の内務警察なら完璧に実行する力は持っていたはずなのに、実施しなかった。
中野 なぜでしょうか?
磯田 罹るかどうかは個人の問題で、国がそこまで介入する必要はない、と考えたのかもしれません。結局、実効ある指示は「マスクの装着」と「うがい」の2つだけ。当時は、手洗いの重要性は指摘されていませんでした。