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お上の言うことをよく聞く国民性、『翔んで埼玉』ばりの排外主義……コロナ禍があらわにしてしまったもの

日本社会のコロナ・ディスクロージャー ジェーン・スー×中野信子×磯田道史

磯田 もう一つ言うと、新型コロナは専門家でなくても世界中に自分の考えを発信できるツール“SNS”を得て、人類が初めて迎えたパンデミックなのです。

スー なるほど、確かに。

磯田 また、今回興味深かったのは、日本人が、どこまでを「ウチ」と考えているか、でした。日本人は靴を脱ぐようにウチ(身内)とソト(部外)の区別が強い。「チーム日本」風にネット上に中韓への排外的な書き込みが出るのは予想済みでした。ところが、国内でも都道府県の往来をめぐり地域主義があらわになりました。一時、大阪と兵庫はギクシャク。岡山県知事は「岡山に来たことを後悔するようになればいい」と発言。“国民国家”日本も意外と脆いのかな、と思いました。

中野信子「『翔んで埼玉』の埼玉狩りがまるでリアルに」

中野信子さん ©文藝春秋

中野 他県のナンバーがついた車は攻撃していい、という雰囲気が蔓延してますよね。『翔んで埼玉』の埼玉狩りがまるでリアルなものになってしまった。集団バイアスが働くとこんなことが起こるのかとリアルに見せつけられました。

磯田 もう一つ僕の予想が当たってしまったのが、患者たたき。日本人は古来、ツミ・ケガレの観念で病を見がちでした。感染者の「落ち度」を探し、善悪レベルで断罪し始めないか。『報道ステーション』の富川キャスターも「謝罪」に追い込まれました。

中野 脳の回路の中でも「善悪」と「美醜」を判断する機能は、とても近いところにあるんです。だから、日本人が「病には罪穢れがある」と思ってしまうのは、脳科学的にも納得がいきます。

磯田 日本で初めてパンデミックが起きたのは第十代崇神天皇の時代、『日本書紀』には「疫病で大半の国民が死んだ」という記述と共に「請罪神祇」とあります。「請罪」には「のみまつる」と、かながふられていますから、平身低頭ひれ伏して神に許しを乞うたのです。ちなみに崇神天皇は西暦320年頃に実在した最初の天皇(大王)という学者も多い。この国の天皇制や伊勢祭祀の原型は、この時のパンデミック対策で、できた可能性もあります。

スー そもそも日本人には病に穢れの意識があると考えると、感染者数が増えること自体が悪であり、国全体にシミがつくようなことだと捉える人もいるのかしら。「正確な罹患者数を知りたい」という声は多かったとは思いますが、同時に「体調が悪くても、検査するのは怖い」と口にする人もいました。穢れのレッテルは誰も貼られたくないですものね。