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「誰のおかげで事件が解決したのか」

 1審の論告で検察は、「この母親の切望に応えることこそ、法に課された使命とも言うべきである」と言ってくれました。そして、「被告人らの死刑を望む遺族らの意思は、被告人3名の量刑を決めるにあたって、最大限に考慮されなければならない」と。

 死刑は絞首刑で娘と同じ窒息死です。できる事なら、娘と同じやり方で刑を執行してもらいたいほどでした。

 しかし、自分が復讐できないなら、せめて死刑判決をとの願いも「被害者が1人」という事で叶いませんでした。

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 被害者の数を重要視する裁判官こそ、人の命を軽んじているのではないかとさえ思いました。全ての裁判が結審し私の心に残ったのは、娘の無念を晴らせなかった悔しさと、司法に対する不信感だけです。

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 堀は死刑から無期懲役に減刑された途端、それまでは申し出ていた謝罪の手紙を送りたいとの偽りの懺悔もなくなり、何も言ってこなくなりました。本気で反省し謝罪する気があったら、これまでに行った犯罪を自供していたはずです。さらに、減刑した2審判決でさえ、「自らが行った行為に対し、正面から向き合って真摯に反省しているとまでは言えない」としています。無差別強盗殺人を犯し、4年近く経っても反省できない人をどうして更生の可能性があると判断できたのでしょうか。

 堀は無期懲役が確定してからひと月も経たないうちに、娘の事件の9年前に犯した、面識のない人を2人も殺害した強盗殺人事件で逮捕され、その翌年には、娘の事件の1年前に犯した別の強盗殺人未遂事件で逮捕されました。

 これで2審の裁判官や犯罪心理鑑定人の、「犯罪傾向性は進んでいない」「犯罪への親和性は低い」とした判断が誤りだったことが明らかとなりました。この2つの事件の裁判では、堀は死刑、共犯者の2人は無期懲役が確定しています。

 もう1人自首減刑で無期懲役が確定した川岸は、1審の判決が下されたその日の取材で、「誰のおかげで事件が解決したかとの思いだったから満足している。今でも悪い事はばれなきゃいいという気持ちは変わらない」と答えています。

不確定な「更生」が前提になっている司法のままでいいのか

 これまでの裁判を通し、自らの身勝手な欲のために、何の関係も落ち度もない人の命を簡単に奪える者は、善悪に対する根本的な考えが一般の人とは違うという事を知りました。被告の1人は、殺害行為は仕事感覚だと言いました。ゴキブリを殺すのと一緒だと。人はどのような人でも最低限の道徳心は持ち合わせていると思っていましたが、それは大きな誤りで、綺麗事では済まされないどうしようもない人間が存在する事を認識する必要があります。このように考えると、加害者の更生という未来の不確定なことを前提に裁くのではなく、真面目に生きている人を守る事を優先して裁く司法であって欲しいと思います。