白無垢に見えた白装束
娘は事件に巻き込まれる前に、このような言葉をミクシィの日記に残していました。会社関係の方が突然お亡くなりになった時に書いたものです。「人と人との繋がりって、普通に今日も明日も変わらずに続くと無意識に信じてしまっていますが、今回みたいな事があると思い知らされます。どうして明日もまた、無邪気に会えると信じてしまっているのでしょう。もっと身の回りの人との関係を、大事にしていかないとなって思いました。今、この時が、最期になるかもしれないのですよね」
まさか、この3カ月後に、自らの命が犯罪によって喪われるとは想像だにしていなかったことでしょう。日記にこう書き込んだ本人が当事者になる──。誰が被害者や遺族となってもおかしくない社会なのです。
私にしても、突然の悲報は当然受け入れることなどできませんでした。警察署で会った娘は、ブルーシートに包まれて首から上だけが出ている状態で、顔には何カ所も青あざが広がっておりパンパンにむくんでいました。眉間や左ほほ、顎には傷があり、バリバリに固まった髪の毛は、大量の出血を想像させました。その左側頭部はガーゼが当ててあり、傷口を隠してありました。
そんな娘の顔を見て、強く抱きしめると痛いのではないかと思い「お母さんがいるからもう大丈夫よ。安心して。もう怖くないからね」と言いながら、そっとなでることしかできませんでした。
忘れられない娘の冷たさ
当時の事はあまり覚えていませんが、今でもはっきり覚えているのは、ほほをつけた時の娘の異常な冷たさです。亡くなったという現実を突き付けられたショックが、記憶としてとどまったのかもしれません。
また、司法解剖を終え、物言わぬ姿で帰宅した娘の両手首は、手錠を掛けられていたために変色し腫れていました。どれほど怖かったことでしょうか。どれほど苦しかったことでしょうか。どれほど痛かったことでしょうか。そして、どれほど生きたかったことでしょうか。
荼毘に付す前、私は娘の顔の青あざを少しでも隠してあげたいと思い、姉と2人で化粧をしてあげました。すると、娘は花嫁と見違えるばかりになりました。私には解剖の跡を隠すように覆った綿のようなものが綿帽子に見え、白装束が白無垢に見えたのです。
一緒に娘の花嫁姿を見ることを想像していた主人は、娘が1歳9カ月のときに、急性骨髄性白血病で亡くなっています。それからというもの、私は娘を生きがいに事件までの30年間をずっと一緒に暮らしてきました。片親だからと言って、人に指をさされるような子供には絶対にしないとの思いで厳しく育ててきました。娘もそんな私の気持ちをわかってくれて、真面目で優しく、よく気がつく子に育ってくれました。娘の幸せが私の一番の幸せでした。