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娘の笑顔が変わるとき

 次の言葉は、2審の裁判の時に裁判長に向かって話した内容です。

「私はある日突然、見知らぬ3人の男たちによって、たったひとりの家族である娘を惨殺され亡くしました。その事により仕事を辞め、30年住んだ住居を去り、裁判や署名活動で多額の費用を使いました。

 娘は、真面目に生きていただけなのに、31 歳という若さで強制的に人生を閉じられ、夢や希望、未来の全てを奪われてしまいました。

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 かたや罪を犯した者は、三食税金で食べさせてもらい、体調が悪いと診てもらえ、裁判ではひとりに2人や3人の国選弁護人をつけてもらい、犯罪心理鑑定などの手厚い弁護を受け、あげくに好き勝手な言動でより以上に遺族の心を逆なでします。

 娘の最期の言葉に耳を貸さずに命を奪ったのに、自らの命は守ろうとして叶えてもらいます。これってとてもおかしなことに思えます」

 残念ながら、3人の裁判官には遺族の思いは届きませんでした。

 私は被害者やその家族の人権や処遇を、被疑者や被告人同様に憲法に明記して欲しいと思います。

「死刑」が遺族の唯一の望み

 大切な人が殺されたら、ほとんどの遺族は死刑を求めます。裁判でより重い刑を科してもらうことしかすべがないのです。しかし、被害者より加害者の利益を優先する今の裁判では、遺族はさらに辛い苦しみを強いられてしまいます。遺族の唯一の望みである死刑判決まで取り上げるような日本にならない事を切に願います。

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 月日の経過とは別に、娘との時間はあの日以来止まったままで進むことはありません。今でも31歳のままの娘が生き続けています。その娘は、いくら声をかけても決して言葉を返してはくれず、黙って笑顔を見せるだけです。いつしかその笑顔が、警察署で見た悲惨な顔や証拠写真の無残な姿に変わる時、耐えきれずに泣きながら頭の中から娘を消し去ります。時間にするとほんの数分のことですが、私が生きている限りこの繰り返しが続くのでしょうか。できることなら、娘との楽しかった思い出だけを胸に生きて行きたいと願います。

 最後に、死刑反対の人にお聞きしたいことがあります。あなたの娘や息子、愛する家族の命を奪った加害者に対しても、あなたは堂々と死刑反対と言えるのでしょうか? 本当に親として家族の一員として、反対で満足なのでしょうか。他人事としてではなく、自分に降りかかったらどうだろうかと、今一度お考え下さい。

死刑賛成弁護士 (文春新書 1274)

犯罪被害者支援弁護士フォーラム

文藝春秋

2020年7月20日 発売