東條の手記は、いわば開き直り
しかし東條の手記は、いわば開き直った形になっている。このことは開戦時に、戦争終結のプログラムをもたず、ひたすら「聖戦完遂」を叫んで国民を煽り立てた責任をまったく理解していないということであった。
東條の言と対比されるのは、終戦時の首相で、とにかくポツダム宣言を受諾して戦争終結への道を開いた鈴木貫太郎の発言、あるいはその考えではないかと私は思うのだ。鈴木は陸海軍の聖戦完遂、本土決戦派に抗しながら、終戦への舵取りを行った。その鈴木は戦後、乞われるままに一時期枢密院議長を務めたが、枢密院の廃止とともに千葉県関宿町に身を落ち着けて、静かに戦後日本の様子を見守り続けた。
その鈴木が、昭和21年8月に『終戦の表情』という語り下ろしの冊子を刊行している。その冒頭には次のようにある。
さてここに敗戦1カ年、静かに過去を振り返って見ると、種々の悪夢が念頭に浮かんで来て、我が国の最近20年ほどの歴史がまざまざと思い起こされてくる。
人間はたとえ間違ったことであっても、それを繰り返し繰り返し耳にしていると、いつの間にかそれが真実にそのように聞こえて来、やがてそれ以外のことは一切間違っているかのような錯覚に捉われてしまうものだ。
鈴木の言は、東條の示した論とまったく逆
そのうえで日本人はこれまでいささか傲慢であったと言い、戦争に進むプロセスでも安易に大言壮語する者に引きずられていたと言うのである。鈴木は東條と比べて、国民は本来真面目であったのに、戦争指導者や煽動者の言に安易に乗せられたとも忠告している。そしてこの冊子の末尾では、戦争に負けるのは不名誉ではあるが、それよりもなお、この国の将来が生かされることになったのは、なにより喜ばしいというのだ。
われわれは、鈴木の言が、東條の示している論とはまったく逆だったことを知っておかなければならない。
末尾で示された鈴木の考え方である。
降参するというこんな不名誉なことはない、しかも自分の名誉などという小さな問題ではない。陛下の、国家の不名誉を招来したのであるから責任は誠に重い。だがその結果民族が残り、国家が新しく再生することになったのであるから、この民族の将来にたいして余は心から名誉ある国家としての復活を願い、余生を傾けて真に国家が健全な肉体になってゆくまで見守ってゆくのが自己の責任だと痛感している。
東條と鈴木の違いはどこにあるのだろうか。それは「国民」を見つめる目が、開戦時の首相と敗戦時の首相とはまったく異なっている点にあった。片方は国民に責任を押しつけ、もう片方は国民は欺かれていたことを恥じよというのである。