彼が法律を学んだ学生時代に過ごしたグラスゴーや、判事時代を過ごしたエジンバラでその足跡を訪ねると、もともと健康に問題があったパトリック判事が、東京でその全精力を使い果たし、帰国後は廃人同様に精彩を欠いて過ごしたこと、個人的には日本への敵意はなく、「敵」であり脅威を感じ続けたのはその生涯を通じてドイツだったこと、などが浮かび上がってくる。
こうした取材の成果を凝縮させて私は脚本を執筆した。それでも上述のクランクアップの打ち上げの場で、パトリック判事を演じたフリーマン氏が言った、その「氏族」にまでは思いが至らなかった。その発想はスコットランドの研究者でもなければ、日本人の私には無理だった。この国際ドラマのイギリス人俳優だからこそ得られた視点だったろう。まさにチームワークの賜物だ。
初めて詳しく分析されたオーストラリア人裁判長・ウェッブ
こうした俳優たちの役作りのリサーチまで含めて、あのドラマ、東京裁判の11人の判事たちの舞台裏の2年半を描いた作品は、徹底取材に基づいて11人ひとりひとりのキャラクターを描き、すべてのセリフの一つ一つの単語まで、一次資料で再現できるところは再現し、推定が必要なところもあらゆる角度から「こう言っていたとして全く不思議はない」という確信を持てるところまで突き詰めたものである。
裁判長のオーストラリア人ウェッブも面白い。全四話シリーズの第二話の冒頭で、早々に帰国してしまった初代のアメリカ代表判事の後任として赴任してきたハーバード大学出身のクレイマー判事がウェッブ裁判長に着任の挨拶をするとき、「あなたも(ハーバード出身ですか)?」と問われ、「クイーンズランド州立大学」とウェッブ裁判長が口ごもりながら答え、その大学名を聞いたことがないクレイマーと傍らのマッカーサー司令官との間できまずい沈黙が流れてウェッブ裁判長も当惑、というシーンがある。この会話そのものは記録に残っているわけではないが、様々な資料やオーストラリアでの現地取材で得られたウェッブ裁判長の内面のプライドとその屈折を描くために入れたものだ。
当時のオーストラリアの人々が、「宗主国」であるイギリスに対して持たざるを得なかった複雑な心情。そのイギリスをはじめアメリカや欧州各国の一流の法曹界の人材を前に、オーストラリアにおいてさえ、地方都市ブリスベンの判事に過ぎなかったウェッブ裁判長が、自らの経験と能力を遥かに超えた重責を担わされた混乱。その弱みを覆い隠そうとして傍若無人に振る舞い、孤立を深める悪循環。その母国での地方判事の地位を、内陸部の荒野の小さな町の孤児院からのし上がり得ていった政治的センスや出世術とブリスベンで出会っていたと思われるマッカーサーとの縁。さらには、一時は太平洋の覇者となった日本軍による上陸の脅威を感じ、市民の戦闘訓練も日常茶飯事だった戦争体験。熱心なカトリック教徒であり、東京では裁判の傍ら、空襲で焼けたミッションスクールへの援助に尽くしたという宗教的背景……。