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2020/08/08

 さらに、パル判事には、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の宗教対立が激しかったベンガル地方の奥地の村の出身で、大都市コルカタで身を立てるうちに故郷がバングラデシュとしてイスラム教の国(自身はヒンドゥー教徒)になって分離独立してしまったという出自や、その波乱万丈の人生体験がもたらす強さ、東京に来てからも一人だけ当初帝国ホテルに部屋が用意されなかったという差別的な体験をしたエピソード、あるいは日本人被告に有利な判決書を書きながらも、彼らの命を救うため他の判事に働きかける動きは見られず、裁判を欠席してまでホテルの自室に閉じこもり一人その判決書を書き続けたという独善性など、今まで知られていたよりはるかに複雑なキャラクターが、取材を通じて明らかになった。

海岸で話すレーリンク判事=マルセル・ヘンセマと竹山道雄=塚本晋也(「NHKスペシャル ドラマ東京裁判」より)

 私自身もそのバングラデシュ内陸部の出身地を訪ねたし、取材の成果をまとめた資料をイルファン・カーンに送り、それらをすべて昇華したうえで、静かで抑えた演技の中に、内面の怒りや並はずれた強い意志を秘めた新しいパル像を見事に演じてくれた。こうした彼の演技が今後はもう見られないということは極めて残念であり、この作品への出演が貴重な機会となった。

取材のために訪れたパル判事が生まれたバングラデシュの村(筆者提供)

 各回およそ1時間の4回シリーズ、およそ4時間近くのこのドラマの俳優たちについて、あるいは個別のシーンに込められた意図の話をしているといくら字数があっても足りないので、実際に番組をご覧いただいて判断していただくほかない。私が知る限り日本の放送界でも空前絶後の、恐らくもう二度とない企画であり、制作の枠組みであることは間違いない。

「異なる11人の異なる11の正義」を描きたかった

 最後に駆け足で、この番組(2016年12月初回放送)がどのような意図と経緯で成り立ったのか、その「奇跡の軌跡」(と私は勝手に呼んでいる)を、最初の企画から、最後の放送まで作り手として走り切った唯一の人間として、紹介させてほしい。

実際の判事たちの集合写真

 日本の戦争を裁いた東京裁判を、判事たちが2年半もの間繰り広げた激論や対立、離散、集合など、舞台裏の「判事控室」で何が起きたのかに視点を定め、いわば「11人の怒れる男」たちとして描こう、という企画の発想は、このドラマの制作が始まる前、2007年8月に放送したドキュメンタリー「NHKスペシャル パール判事は何を問いかけたのか~東京裁判・知られざる攻防~」を取材・制作した時に得られた。

 このドキュメンタリーでは、パル判事を中心に東京裁判の舞台裏を追った。その番組作りの過程で実は11人の判事全員が極めて面白く奥深いキャラクターであることに気づかされた。彼らは、欧・米・アジア、植民地、非植民地など、それぞれの祖国の文化と歴史と政治を背負った人々であり、その判事室でのぶつかり合いがドラマチックであることも見えてきた。紙で残された史料や関係者の証言はあるが、判事たち自身は全員亡くなっていることも考えると、このストーリーを描くには、精緻な脚本を書いて俳優たちに演じてもらう「ドラマ」の形式が最も良い、と思うに至って企画をスタートした。そして、この切り口ならば、「異なる11人の異なる11の正義」を描くことで、一方に偏ることのない、幅広く多様な視点を提供し、視聴者の皆さんに深く考えてもらうことができると思ったのだ。