「私はパトリック判事を演じるにあたって、彼のクランが何であるかを調べた。そしてそのクランに固有の伝統を考慮して、彼の心理を分析して演技に役立てたんだ」

 イギリスの名優、ポール・フリーマンがそう語るのを聞いたとき、私はあらためて『東京裁判』という歴史の事象の奥深さを実感させられた。

「東京裁判」を担当した判事たち(中央がパトリック判事=ポール・フリーマン)(「NHKスペシャル ドラマ東京裁判」より)

「パトリック判事」とは、アジア・太平洋戦争が終わった直後、日本の戦争指導者たち28人を裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)の、連合国11か国から1人ずつ派遣された判事の一人イギリス代表のウイリアム・パトリック判事のこと。「クラン」とは、パトリック判事の出身地であるイギリス北部のスコットランド地方に特殊な「氏族」のことだ。

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 そしてこの会話は、NHK総合チャンネルで、8月8日土曜日深夜24時05分(9日0時5分)から第一話、第二話、そして翌9日日曜日深夜24時45分(10日0時45分)第三話、第四話を2夜連続で再放送し、その後1週間にわたりNHKプラスで見逃し配信が行われる「NHKスペシャル ドラマ東京裁判」の撮影が2015年にクランクアップした際、原宿の東郷記念館で開かれた打ち上げ会で、このドラマで主役級の一人を演じたフリーマン氏が私に語った言葉である。

 私はこの番組を企画し、当時の担当部署での肩書としてはチーフ・プロデューサー、番組のクレジットでは“脚本”と“ディレクター”、そして英語版ではそれらに加えて”original story”と、つまりは作り手としてこの番組を制作していたのだ。

実際の東京裁判の法廷を撮影した白黒フィルムの映像を、番組のためにカラー化した(「NHKスペシャル ドラマ東京裁判」より)

スコットランド人判事は、なぜ裁判後“廃人同然”になったか

「東京裁判」を考える時、インド代表パル判事の「全員無罪」の判決に賛否両論を唱えたり、あれはマッカーサーの台本通りに進んだ茶番劇だと俗説を聞いたり、「勝者の復讐」にすぎないと怒ってみたりすることはあっても、判事11人のうち、肝心のアメリカ代表判事は早々に任務を放棄して帰国してしまい、裁判長のオーストラリア代表判事も公式判決を書くのに参加すらできず、全員有罪、7人死刑の結論を導いたのはイギリス代表の、それもグレートブリテンの政治の中心であるイングランド人ではなく、遠く北に離れたスコットランド人の判事であり、その日本からは物理的にも心理的にも隔絶した出自ならではの思考様式が、彼の東京での行動に影響していた、といったことまでを知る人はほとんどいないだろう。

当時のパトリック判事

 だが、イギリスの公文書館に残されていた資料には、欧州にとって第一の重大事であったナチスを裁くニュルンベルク裁判にイングランドの名判事が派遣され裁判長となったあと、東京での戦争裁判への派遣に白羽の矢が立ったスコットランド人のパトリック判事にとって、それを受け、立派に果たすことがイングランドの後塵を拝し続けたスコットランド人として重要だったこと、その高揚感と責任感を伝える言葉の数々が記されていた。